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(回答先: Re: やはり我々、かなり発想が似ていますね(笑) 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 9 月 27 日 02:54:13)
>1960年代の英国の社会学者が(名前も全て忘れましたが)、組織(社会構成も)は、
>必ずある%のアンチがいることで成り立つと言ってました。
>そのアンチを辞めさせる(追放しても)、そうすると残った人たちから、その%の新たな>アンチが生まれる(笑)
>これは例え価値観が同じはずだった共同体でも、既に起きてきた問題です。
蟻の世界でも、よく働く働き蟻と、怠け者の働き蟻がいる。
それで、怠け者の働き蟻だけ選別して取り除き、ハードワーカだけにして観察していると、必ずその何割かは「怠け者」になる。(笑)
わりと有名な話です。(笑)
http://essay.dino-tail.com/05_01.html
蟻ってけっこう人間的というか、むしろ人間が蟻的というか・・(笑)
これは蟻の世界においてすら、種の存続においては「多様性」が必要なのであろうと小生は理解しております。
いわんや人間の世界においては。
オーストラリアのコハウジングについてのレポートですが、彼らもまた試行錯誤の繰り返し。
http://www.realiser.org/2004/041031.htm
小生が言及したところの「価値観の共有」というのは、ちょっと言葉では言い表しにくいのですが、「人と人との繋がりは、円のようなもの」という“前提理解”を共有している人々というか・・。
以前の投稿ばかり持ち出してきて申し訳ないのですが、我々のコミュニケーションの手段として最も一般的な「外的コントロール」というのがあります。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/1088.html
これは「利他」を上位に置き、「利己」を戒める発想から来ているのだと思います。
でも現実には、人はものすごく利己的ですよね。(笑)
そうではなくて、人は利己的な存在なんだから、互いの利己を尊重できなければ、コミュニティーなんて存続できっこないというのが小生の考えです。
こういった“前提理解”を共有し、その上で“共存”に向けたプロセスを一緒に歩んでいける人達によるコミュニティーというのが理想と考えています。
「ゆるやかな価値観の共有」とは、そういう意味です。