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(回答先: Re: 民主党前原党首は「家庭より仕事が大切」と即答 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 9 月 25 日 08:43:25)
>今月、すい臓がんが疑われて、仕事の合間合間に検査して、結果シロだったのですが、少しは死を考えました。
「このへんでちょっと、スローダウンしろ」という天の啓示ではないでしょうか(笑)
結果がよろしくて、本当にようございました。
いずれにしても、くれぐれもご自愛ください。
>世界で、「自分の一番大切な物は?」の質問への回答を見たことがあるのですが、
>結構一番に「仕事」の国が「家庭」と共に多かったと記憶してます。
>仕事を生き様として捉えている人は、「生き様」が家庭の元にもなるし、
>子供への一番の教えになると考えているのだと思います。
世の人々は、さまざまな環境に暮らしておりますね。
アラブの民だったら、「アラーの神」と答えるかもしれません。(笑)
冗談はともかく、「日本人」に質問したとして、独身の人もいれば家庭をもっている人もいて、答えは微妙に違ったものとなるのではないでしょうか。
自分がもし聞かれたら、なんて答えるだろうかと考えてみました。
そしたら、「答えられない」ことに気づきました(笑)
もちろん女房子供のいる小生にとって、家族は自分自身より大切ですが、家族を除外してこと自分のこととなったら何なのか?
よくよく考えて、苦し紛れで出した答えは、「今、どう在るべきか」ということ。
もっとも家庭をもってしまったら、家庭を除外してなど考えられませんが。(笑)
「仕事」にしても、その人自身と仕事との関係性が重要ですよね。
「就きたかった仕事」に就いて、生き生きと働いている人と、「生活のために」必要悪として働いている人・・。
天国と地獄の差があるのではないでしょうか?
小生はどうも、人生を「仕事」とか「家庭」とかといったセグメントに分けて考えるのが苦手で、むしろ「どうデザインしていくか」に比重を置いてしまう。
つまりは比重の問題で、「仕事」を人生のコアにするか、「家庭」を人生のコアにするかは、その人その人だろうと思っています。
(小生の場合はその時々の「環境」がコアなので、仕事は二義的として国から国へと渡り歩いてきました。)
どうも日本人一般?を見ていると、「主体的に自分の人生をデザインする」という発想に乏しいようですね。
仕事は「与えられるもの」、乃至「用意されているもの」という前提において選び、その後には「牛馬の如く働かされる」となる。
主体性が欠落してるから、人生を「片輪走行」してしまう。
不本意な環境にいれば、そこから脱出すればいいわけで、その時重要となることは、「そもそも自分は、どんな環境に身を置いてこそ幸福なのか」という自身への問いかけと、それに対して踏み出してゆく勇気でしょう。
これらがなければ、「与えられる範囲内の環境に甘んじ」ざるをえないし、とどのつまりは不本意な人生を送らざるをえない。
小生はNarongchaiさんのように、仕事を通して夢を追っていらっしゃる方々を、うらやましく思っています。
小生がそんな「仕事」を見つけられていたら、こんな苦労して国から国へと渡り歩くような人生ではなかっただろうなと(笑)
もっとも、「これこそ俺の人生」とは、胸を張って言えますが。(笑)
とりとめのない文章になり、失礼しました。