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【郵貯民営化は経済環境変化に逆行!!】
http://www.doblog.com/weblog/myblog/28388/1054623#1054623
[ 08:18 ] [ 野口悠紀雄 ]
[ スライドショウ ]
[よく分かる民営化論]<お薦めHP:郵便局ファンの会>
今日は、2005年2月26日号の週刊東洋経済に掲載されている「日本経済改造論 郵貯民営化はアナクロニズム 国債引き受けこそ郵貯の役割 民営化は経済環境変化に逆行」(野口悠紀雄著)という記事を紹介します。
野口氏は、「超」整理法をはじめとして、最近では「超」納税法、「超」英語法、「超」整理手帳など「超」シリーズの著書で有名な方ですが、1964年大蔵省入省、1972年エール大学経済学博士号取得、一橋大学教授、東京大学教授を経て現職スタンフォード大学客員教授、専攻は公共経済学、日本経済論という方です。
同記事で野口氏は、「
○金融の主な役割は、企業ではなく政府のファイナンスへと変わった。
○そうした経済環境下での郵貯民営化論は、時代の流れに逆行している。
○郵貯は国債引き受け機関として、民間金融機関への国債の重圧を緩和すべき。」
と述べています。
これらの問題については、私も以前からHPでデータをお示しした上、
「官の肥大化の理由」
「資金の流れを官から民へ」
「官の更なる肥大化の可能性」
で述べています。
なお、野口氏が記事の中で使われている部門別資金過不足(対GDP比)のグラフは、内閣府の国民経済計算(SNA)を使われていますが、私のHPで使っている「経済主体別資金過不足状況」のグラフは、日銀の資金循環統計を使っています。これらは、若干の誤差はありますが関連統計としていずれも同じ概念であり、日銀の資金循環統計の方が四半期に一度公表されているため、より新しい日本経済の実態が分かるので私は、日銀の資金循環統計を使っていることを補足しておきます。
同記事で野口氏は、「これまでの日本で金融セクターが果たしてきた役割は、企業部門のファイナンスであった。しかし、これを必要とした経済環境はすでに変化している。今後ファイナンスの必要があるのは、政府部門だ。この傾向は、将来に向かって加速する。このことは、今後の金融機関に対する大きな制約条件となる。
『銀行改革のためには、ビジネスモデルを刷新して収益性を高めることが必要』と前回述べた。銀行収益の基本は、預貸金利差である。しかし、資産のかなりの部分を国債に充てざるをえないとすれば、預金金利を大きく上回る収益を実現することは難しい。銀行の収益力は、この面から強い制約を受けるわけだ。
この問題は、郵便貯金民営化と重大な関わりを持つ。従来、郵貯に関しては、民間金融機関との競合が問題であるとされてきたが、それは預金吸収面での競合である。そして、これが問題とされたのは、金融の主要な機能が企業部門のファイナンスであったからだ。つまり、郵貯の民営化が必要という議論は、過去の経済環境を前提としたものある。
政府部門のファイナンスが金融の主要な課題となった現在では、こうした理論は成立しない。必要とされるのは、郵貯が国債を保有して、民間金融機関への国債の重圧を緩和することだ。つまり、郵貯の公的な性格を強めることこそ、今後必要とされることである。
郵政事業民営化は現在最大の政治的課題とされているが、この点に関しての十分な議論が行われているとは考えられない。経済構造に関する時代遅れの認識のもとに、必要とされるのとは逆方向の制度改変が行われる危険性が強い。」
と述べられています。
私も官の資金循環と民の資金循環を分けてこそ、正常な民の資金循環が生まれるのだと考
えています。
確かに海外でも民間金融機関の資金運用でも、ポートフォリオの中に国債など政府の発行する債券を組み入れていますが、日本の政府債務の額は他の国とは比較できないほど大きなものであり、それを全て民の資金循環でまかなうというのは、民間の銀行を郵貯にしてしまうということであり、野口氏の言われるように民間金融機関へ国債の重圧を課すことになるのです。
そして、日本の国債残高は、今後益々増えていくのです。
バブル期の日本では、「土地の値段は下がらない」といった土地神話に惑わされた民間の金融機関が主導して、土地などを担保とした借金が増えたため民主導の信用創造が一気に膨らみ、やがて崩壊してしまいました。
そしてバブル崩壊後の日本の金融機関は、そのつけとして生じた不良債権に苦しみ、金融危機にまで発展したため、金融庁主導で不良債権処理を余儀なくされました。
その結果、貸し渋りや貸し剥がしといった問題まで生じて、民主導の信用創造が一気に収縮していきました。
その一方で財投を通じて政府が借金を行い、郵貯などで資金調達した資金を公共投資などに使い、その資金を、また、郵貯などで吸収するという官主導の信用創造が膨らみました。
現在の家計の金融資産は、1,400兆円と言われていますが、それだけの金融資産が生まれたのも、民間の信用創造が収縮する中で、官主導の信用創造が行われた結果です。
【信用創造とは、一般的に銀行などの金融機関が預金として調達した資金を貸し出し、その貸出金が再び預金されてもとの預金の数倍もの預金通貨を創造することです。また、官主導の信用創造とは、政府が国債などにより調達した資金を行政サービスや景気対策などにより一部の民間企業などに配分し、その配分金が循環した資金で再び国債などを購入することにより、当初、民間に供給された資金が、数倍もの国民の貯蓄を創造することです。】
しかし、その弊害として、日本政府の借金が膨大に膨らみすぎてしまいました。
これも一種のバブルですが、いつ崩壊してもおかしくない状況にまでなっているのです。
国債バブルが崩壊するときは、国債がデフォルトを起こして暴落→ハイパーインフレ、預金封鎖といった日本経済の崩壊につながってしまいます。
それだけは避けなければなりません。
その意味からすれば、財投を通じて官主導の信用創造を行うという郵貯の役割は既に終わっていると思います。
これについて野口氏は、「財投は民間金融機関の護送船団方式が行われていたからこそ成り立っていた制度」と述べられています。
ここで詳細は書きませんが、その仕組みについては納得させられるものでした。
いずれにしても、財投改革で郵貯と財投は切り離されており、後は財務省が財投債や政府保証債の発行をやめて特殊法人を整理統合しなければ解決しない問題です。
財投と郵貯の直接的なかかわりはなくなりましたが、それで自転車操業を行っている日本の政府債務が一気になくなるわけではありません。
むしろ、償還にかかる費用を考えれば、膨らむ一方であり、少なくとも政府債務が縮小するまでは郵貯の政府部門のファイナンスという役割は大きいと考えます。
そのような中で、郵貯を民営化するということは、民間金融機関を官の資金循環に取り込み郵貯の役割を担わすことになるのです。
国債を暴落させないためには、必ず消化しなければならない政府債務を民間金融機関のバランスシートに組み込まなければならなくなります。
そのためには、民間金融機関への官の支配を強めなければなりません。
それは、民間といいながら実態は政府金融機関としなければならないということであり、昔の護送船団方式に逆戻りさせなければならないということです。
実際、郵貯残高が激減して、国債の引き受け残高が減っていますが、政府のとった行動は、郵貯に代わる個人向け国債を発行して民間金融機関に売らした上、プライマリーディーラー制を導入して民間金融機関に一定割合の国債の引き受け義務を課したりしています。
プライマリーディーラー制は海外でも導入しているところはありますが、日本の政府債務残高は海外に類を見ないほどの額であり、米国のように通貨が基軸通貨でもないので、郵貯を民営化すれば、民間金融機関への政府の実行支配力を更に強めなければ、政府部門のファイナンスがもたないでしょう。
小泉さんは「資金の流れを官から民へ」といっていますが、実態は逆の方向で資金が流れることになり、「資金の流れは民から官へ」向かうことになるのです。
野口氏の言われるように民間の金融の主要な機能は企業部門のファイナンスであるはずです。
そして、これから政府債務を減らしていく中で、ある程度の家計の金融資産を保とうとすれば、民主導の信用創造を膨らましていかなければなりません。
そのためにも、民間金融機関の役割は大きく、全て民間金融機関に政府のファイナンスをさせるというのは間違っています。
まさに「経済構造に関する時代遅れの認識のもとに、必要とされるのとは逆方向の制度改変が行われる危険性が強い。」という野口氏の主張は正しいと考えます。
また、野口氏は「金融に求められるのは政府のファイナンス」と題して、「政府部門に対してこれほど大量のファイナンスを続けるのが望ましいか否かについては、議論の余地がある。『非効率な財政支出を削減して赤字を縮小すべし』との主張は、当然ありうるだろう。
しかし、政府部門の赤字が今後大きく縮小する可能性は絶無である。むしろ人口高齢化に伴う社会保障費の増大と、労働者年齢人口の減少による給与所得税の減少によって、政府の赤字はますます拡大する。
したがって、『国債発行を減少させよ』との議論は、机上の空論と言わざるを得ない。現実問題としては、政府をファイナンスする必要性を所与の条件と考えざるを得ない。そうだとすれば、金融セクターが果たすべき機能は、企業部門のファイナンスから、政府部門のファイナンスへと移行する。
政府をファイナンスする方法としては、まず、個人の国債保有を増やすことが考えられる。欧米諸国に比べて個人の国債保有が低い現状を考えれると、これは大いにありうる方向だ。
しかし、個人消化をいかに促進してたところで、国債の大半を個人が保有するような事態は考えられない。
(略)
しかし、これは銀行の収益性向上に対して大きな制約条件となる。なぜなら、国債は低リスクの金融商品であるから、預金金利に比べて利回りが十分高くはなりえないからだ。前回指摘したように、日本の銀行の利ざやは、70年代以前に比べても、まだ、欧米の主要行と比べても、著しく低い状態にあるが、その一つの原因は、資金運用が貸出しから国債に移行したことだ。
したがって、民間の銀行が今後も国債保有残高を増やし続けなければならないとすれば、収益はさらに圧迫される。このため、経済全体の立場からいえば、郵貯が国債を吸収して、銀行に対する圧力を軽減することが望まれる。
仮にそうならないとすると、単に銀行の経常収益が圧迫されるだけではない。より大きな問題は、国債の流通に重大な障害が発生することだ。仮に民営化した郵貯が国債の引受けを拒否したり、利回りの向上を求めるとすれば、国債市場は混乱する。場合によっては、国債価格の暴落といった事態もありうるだろう。
銀行は多額の国債を購入してきたが、それは金利の下降(国債価格の上昇)局面下であったため、キャピタルゲインを享受できた。しかし、国債が値下がりすれば、それは新たな不良債権となって銀行経営を圧迫する。企業向け貸出しの不良債権処理を終えても、次の難題が降りかかってくる。銀行の新たな不良債権増大を避けるには、郵貯が大量の国債を購入し続ける必要がある。
(略)
新しい経済環境下では、国債の消化こそ郵貯に求められる機能だ。民間金融機関の立場から見れば、この方向こそが要請されるはずだ。
現在の環境下では、『基本方針』の文言は、『郵貯は公的部門の債務を引き受けることによって、民間経済部門の負担を軽減し、それによって経済の活性化をめざす』と書き換えなければならないはずである。」
と述べられています。
確かに野口氏が述べられているように今後、政府部門の赤字はますます拡大する可能性は否めません。
それは成熟した経済下では、民間企業は内部留保を増やし、その中から設備投資などを行うため、企業部門、特に製造業へのファイナンスというのは、今後、望むことが難しいからです。
そのためにも、野口氏が述べている「人口高齢化に伴う社会保障費の増大と、労働者年齢人口の減少による給与所得税の減少」をおさえるために人口ピラミッドの是正、つまり、少子高齢化対策というのは急務です。
そして、製造業が中国へと移転している中で国内の産業構造を製造業からサービス業へと転換していく必要があると考えます。
しかし、政府部門の赤字はますます拡大する可能性が予測できるとしても、現在の非効率な政府の実態も改めて政府支出を減らしていかなければならないというのも事実です。
野口氏も「なお、『基本方針』にあった『公的部門に流れていた資金を民間部門に流す』必要性は、公的部門の一部については正しい。それは、財投機関である。その多くがすでに歴史的使命を終えていることを考えれば、これをファイナンスし続ける必要性は見出しにくい。
(略)
ファイナンスが必要なのは、公企業ではなく、一般政府である。したがって、郵貯が運用しなければならないのは、財投債ではなく、一般の国債である。この点は重要なので、注意を喚起したい。」と非効率な財投機関の歴史的使命は終わっていると述べられています。
しかし、一般政府発行する国債があまりに膨大であるため、郵貯が運用しなければ消化しきれないのも事実であり、政府部門のファイナンスという意味での郵貯の役割は、まだまだ、大きいと考えられます。
郵政が郵政省から郵政公社になって、随分と経営効率化・透明化が行われています。
その過程こそが、非効率な政府の実態を改め、今の膨大な政府支出を減らしていくのには必要なことなのです。
つまり、郵政を切り離して民営化するなどといった議論をするのではなく、現在行われている郵政改革をどのようにして他の政府にも波及させていくかを考えるのが重要なことなのです。
[よく分かる民営化論]<お薦めHP:郵便局ファンの会>
[ 更新日時:2005/02/25 23:03 ]
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拙論,【《共同的資本主義論》 新たなる国生みへの手がかりへ】は西欧型資本主義
(新自由主義を含む)に対するオルタナティブな対案(原理論)である.ご一読あれ.
http://exodus.blogdns.com/2003/07/veeoeieeoe_si_t.html