★阿修羅♪ > 雑談専用14 > 763.html
 ★阿修羅♪
今月の言葉 (たむたむページよりピックアップ)--「つまんない横須賀の元あんちゃん」んなど
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/763.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 9 月 04 日 08:55:19: 0iYhrg5rK5QpI
 

たむたむページ
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html

☆今月の言葉☆
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/konngetu05.htm#konn


------以下ランダムに抜粋貼り付け--------

☆ 1000兆円=05年3月末時点の国の借金が781兆5500億円と、1年前に比べて財源確保のための普通国債や財政融資資金の調達が目的である財投債の新規発行で78兆4000億円増加。これに、地方の借金を加えれば、05年度内には1000兆円を突破…(05年07月07日付『毎日新聞』−「社説」)。

☆ 職場放棄=郵政民営化法案の採決で与党の自民党から14人の欠席・棄権者が出たが、そうした行動は職場放棄であり議員失格。国会議員の平均年収は2,359万円で、そのほとんどは税金。国民が黙って負担をしているのは、議員が案件をよく吟味し、賛否の判断を的確に下すことを期待してだ。そんな常識が働かないのが国会。賛同できなければ、反対票を投じればいいし、政局を回避したければ賛成票を投じるべきだった。少なくとも自らの行動を恥じ、活動を自粛すべきだが、開き直る議員もいる。自民党幹事長を務めた古賀誠氏は「この案件には賛同できない。だからといって政局になる危機はなんとしても免れた方がいいとの政治信念で退席した」と講演で語った。かつて「骨のある九州男児」と評判だった人の政治信念とはその程度だったのか(05年07月08日付『産経新聞』−「産経抄」)。


☆ 「改革の断行はまさに、私の本懐とするところであります」=05年1月、通常国会冒頭の施政方針演説で、小泉純一郎首相はひときわ声を張り上げた時の言葉。から思えば、総選挙への導火線に火をつけたのは、あの一言だったのではないか。いうまでもなく、「ライオン宰相」の異名をもつ浜口雄幸首相が昭和五年、東京駅で狙撃された直後に口にしたせりふ「男子の本懐」からきている。首相は同じライオンヘアの浜口と、これまでも比較されることが多かった。また祖父の又さんこと、小泉又次郎が浜口内閣の逓信相を務めた縁もある。何より首相は、浜口が、同じく凶弾に倒れた井上準之助蔵相とともに、四面楚歌(そか)の中で断行した金解禁と緊縮財政という大改革を、自らの信念である郵政民営化に重ね合わせたのだろう(05年08月30日付『産経新聞』−「産経抄」)。


☆ 「私は命がけだ。救命装置をつけてやるような選挙はしない」「救命装置をつけた刺客だ。自民党執行部は『(比例重複で救済されるので)安全だから出てください』と言って立てている。それでは本当の刺客ではない」=05年8月20日、郵政民営化関連法案の採決で反対票を投じた前衆院議員の選挙区に自民党が立てた対抗馬について批判した国民新党の綿貫民輔代表の言葉(05年08月20日付『読売新聞』)。


☆ 「つまんない横須賀の元あんちゃん」「冷たいけちなオヤジ」「偏執的。言い出したら聞かない」=元外相の田中真紀子氏(61)が05年8月14日、新潟県柏崎市(旧西山町)で田中角栄元首相の墓参をした後、長岡市内で会見し、新潟5区に無所属で出馬すると表明会見したとき、対自民党の戦いを「角福戦争」に見立てて自民党の反対派議員に刺客を擁立する小泉純一郎首相(63)をこき下ろしたときの言葉(05年08月15日付『日刊スポーツ』)。


☆ 「近い将来、わが国は戦争を受けてたたねばならないこともありうる。大いにありうる」(その場所は東シナ海と台湾海峡)「ここがわが国の生命線であります」「靖国に参拝することによって、今度戦争をする時は断じて負けないという誓いを新たにしないといけない」=05年7月7日、都内で開かれた戦没者遺族などでつくる「英霊にこたえる会」が主催した首相の靖国神社参拝を支持する「小泉総理の公約の8月15日靖国神社参拝を支持する国民集会」に出席した民主党の西村真悟衆議院議員の発言。なお、自民党の中谷元副幹事長や平沼赳夫衆議院議員(日本会議国会議員懇談会会長)、松下忠洋衆議院議員(平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会会長)らも出席、石原慎太郎都知事もメッセージを寄せ、自民党の古賀俊昭・都議会自民党総務会長も出席し、西村氏同様の発言をした(05年07月08日付『しんぶん赤旗』)。


☆ 「かつてアジアの人々に到底癒やしがたい恥辱を植えつけ、そうすることにより、自らも深い恥辱に沈んだこの国はもはや、恥辱とは何かについて考える力さえ失いつつあるようです」…「戦後60年で歴史的な過誤はすべて時効になったがごとき言い草ほど無知かつ無恥で、聴いていて背汗(はいかん= 背中を流れる汗)を禁じえないものはない」=辺見庸(へんみよう=1944〜;昭和後期〜平成時代のジャーナリスト・作家)さんの言葉=週刊金曜日連載(「いま、『永遠の不服従』とは何か」)−(05年08月15日付『東京新聞』−「筆洗」)。


☆ 「複雑怪奇」=1939(昭和14)年8月23日モスクワで、反ソ反共のヒトラーのナチス・ドイツと、反ファシズムの社会主義国、スターリンのソ連との間で独ソ不可侵条約が調印された。予想もされなかったが同盟で、全世界を驚かせたが、日本がノモンハンでソ連と戦っているとき、そのソ連と電撃的に手を結んだことから、この事態に直面した平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう ;1867〜1952。岡山県生まれ。検事総長・大審院長・法相をつとめ、1936枢密院議長。右翼団体「国本社」を創始。39年に首相。近衛内閣の国務相となる。戦後、東京裁判で、A級戦犯として終身刑。52年8月病気のため仮出所直後に死亡。享年85歳。平沼赳夫元通産相の養父【騏一郎は終生、独身】)内閣は、「複雑怪奇」(非常に複雑で怪しく不思議なこと)と声明して総辞職した。なお、付属の秘密議定書では東ヨーロッパにおける両国の勢力圏が定められ、両国はこれに従ってポーランドを分割したが、41年6月22日、独ソ戦の開始によって消滅した。


☆ 「あわれ秋風よ、情あらば伝えてよ…さんま苦いか塩っぱいか」(佐藤春夫)。東京・小金井市の会社は、半年ごとの評価が最低だった部課長2人に、懲罰として社員150人分の賞与を袋詰めさせ、その様子をネットで社内に生中継する。社長は「3回連続して袋詰めしたら、さすがに辞めていく」と言う。成果主義の競争社会では、みせしめという「刺客」がバッコする。05年はサンマが豊漁だ。04年より1匹50円も安い。負け組はサンマに身を託し、相哀れむしかないか(05年08月25日付『毎日新聞』−「近事片々」)。


----そろそろ党首討論がはじまりますので、このへんで。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 雑談専用14掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。