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上信越を転戦して越前から京都に雪中行軍するところで捕獲・斬首された郷土の天狗党烈士金井国乃丞の墓に詣でてきました
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/591.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 22 日 23:23:33: dcAX/x0KhXeNE
 

(回答先: 蘇生する合の手(馬場さまへ) 投稿者 ぷち熟女 日時 2005 年 8 月 20 日 19:37:48)

市広報の最後のページに毎号ふるさとの歴史散歩のコラムがあります.最新号(8
月号)では「天狗党に参加した 金井国乃丞の生地(高畑)」を紹介しています.今日
はぶらっと自転車に乗って,「備前掘の上大橋を渡り,南に300メートル程歩くと左
手に」という案内を頼りに,金井国乃丞の生家を探してみました.私が土地勘が悪
いというのは大体ご想像付くと思いますが,この「備前掘」という川自体がとても分
かり辛いのです.私も地元の人間ですから,もちろん備前堀くらい知ってますし,
子どものころは父や兄のお供でナマズ釣りをやったこともあります.

備前掘はある意味で小山川と交差しています.2つの川が交差するなんておかしい
と思いませんか?まず備前掘は小山川に一旦合流します.この地点が例の「春燕
堰」なんですが,その後,どこかに取水口があって,もう一度小山川から分流します.
しかし,これがどうも暗渠になっているらしく,どうしても全体の水流がつながりません.
備前堀は唐沢川というもう一つの川も横断しているようなのですが,水位を比較する
と備前堀の方がずっと高く,何がどうなっているのかよく分からなくなってきます.一
番悪いのは備前堀の土手伝いの道が整備されていないため,途切れ途切れにしか
川の近くに接近できないことです.上大橋というのはその名の通り小さい橋ではなか
ったので何とか見つけることはできましたが,日はもうとっぷり暮れかかっていました.

道路からちらっと石碑らしいものが左手の奥の方に見えたので曲がってみるとやはり
それでした.私の目測では上大橋からせいぜい150メートルくらいという感じです.屋
敷はこのあたりで特徴的な防風林に囲まれていて,門前右手にこんもり土が盛られた
ところに2.5メートルほどの石柱が立っています.建立は昭和13年,揮毫したのは県
知事の土岐某.手前にはあまり手入れされていない松が覆いかぶさるように枝を広げ
ているので表からはあまりよく見えません.屋敷右手のバラックの隅には,石碑を建立
した日に在ったままの状態という感じで,多分自家製醤油の保存用と思われる1斗くら
いの大きな土瓶が2つ3つ,一部破損したなりに転がっています.

私はほとんど見つけられないのではないかと思い始めていたので,その場所を確認す
ることができただけで満足して帰ろうとしたのですが,まだ時間も早かったので備前堀
から少し離れて並行した道を西の方に進みました.そこでまた偶然国乃丞の墓所を見
つけてしまいました.私がここで「何ものかに導かれて」と言うくらいのことは許してもら
えるでしょうね?昔は畑というより多分田んぼの中という感じだったと思うのですが,今
は下水共用になっている小さい用水路を越すと屋混みの中に一角だけ取り残された
感じで小さい墓地がありました.狭い割には石塔が大きく,やけに込み合った感じです.
中央奥に一本満飾の小さな百日紅がありました.私の部屋の前の百日紅は白からピ
ンクまでの混合ですが,ここのは深紅というか鮮やかなパープルレッド一色です.百日
紅の周りを囲むように(多分)菩提寺の歴代住職の墓石が並んでいます.

国乃丞は幼少の頃より深谷の吉田松陰と言われる中瀬村の桃井可堂のもとで漢学
を学びます.読書好きで物静かな少年であったと言われています.国乃丞の墓は素
朴な造りですが,見上げるほどに大きく苔むしてむっつりと黙していました.石塔と石
塔の間がとても狭いので,立礼で拝むというのも何か息苦しい感じがしたので,私は
しゃがみ込んで台石にひざを押し付けたなりで墓石に向き合い,手を合わせました.
長い時間ではありませんでしたが,私たち(私と国乃丞)はお互いに何も語ることもな
かったと思います.少年同士の会話ってそんなもんじゃありませんか?

慶応元年(1865年)に加賀藩士の手で打ち首になったとき,国乃丞は19歳でした.
ある意味で全共闘運動というのは,天狗党の乱だったのかもしれません.天狗党は
尊皇攘夷の実力行動ですが,ほとんど暴発に近い無謀な企てであったのではない
でしょうか?指導者は水戸藩家老の武田耕雲斎,大砲も備えていたようですが武装
浪士1000人は雪中行軍の果てに全員捕縛され,うち300人!が処刑されました.
関ヶ原には桜田門外の変の報復を狙う彦根の井伊藩士を主力とする大軍が陣を敷
いていたため,越美国境を越える迂回路を取るしかなかったのです.

【天狗党悲劇の越前行】http://homepage1.nifty.com/saizou/tengu1.htm

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