★阿修羅♪ > 雑談専用14 > 578.html
 ★阿修羅♪
1919年: 蜜柑 芥川龍之介
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/578.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 22 日 01:01:20: dcAX/x0KhXeNE
 

(回答先: 蘇生する合の手(馬場さまへ) 投稿者 ぷち熟女 日時 2005 年 8 月 20 日 19:37:48)

包みがあつた。その又包みを抱いた
霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの
小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快
だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁(わきま)へない愚鈍な心が腹立た
しかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと
云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。する
と其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷(すり)の悪い何
欄かの活字が意外な位鮮(あざやか)に私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽
車は今、横須賀線に多い隧道(トンネル)の最初のそれへはいつたのである。

 しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰む
べく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜
職(とくしよく)事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる
方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆
(ほとんど)機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰(あたか)も卑俗
な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずには
ゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡
な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、
退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊
を抛(はふ)り出すと、又窓枠に頭を靠(もた)せながら、死んだやうに眼をつぶつて、
うつらうつらし始めた。

 それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅(おびやか)されたやうな心もち
がして、思はずあたりを見まはすと、何時(いつ)の間にか例の小娘が、向う側から
席を私の隣へ移して、頻(しきり)に窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸(ガラス
ど)は中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸(ひび)だらけの頬は愈(いよいよ)
赤くなつて、時々鼻洟(はな)をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、
せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹(ひ)くに足
るものには相違なかつた。しかし汽車が今将(まさ)に隧道(トンネル)

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 雑談専用14掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。