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(回答先: 蘇生する合の手(馬場さまへ) 投稿者 ぷち熟女 日時 2005 年 8 月 20 日 19:37:48)
包みがあつた。その又包みを抱いた
霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの
小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快
だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁(わきま)へない愚鈍な心が腹立た
しかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと
云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。する
と其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷(すり)の悪い何
欄かの活字が意外な位鮮(あざやか)に私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽
車は今、横須賀線に多い隧道(トンネル)の最初のそれへはいつたのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰む
べく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜
職(とくしよく)事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる
方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆
(ほとんど)機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰(あたか)も卑俗
な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずには
ゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡
な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、
退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊
を抛(はふ)り出すと、又窓枠に頭を靠(もた)せながら、死んだやうに眼をつぶつて、
うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅(おびやか)されたやうな心もち
がして、思はずあたりを見まはすと、何時(いつ)の間にか例の小娘が、向う側から
席を私の隣へ移して、頻(しきり)に窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸(ガラス
ど)は中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸(ひび)だらけの頬は愈(いよいよ)
赤くなつて、時々鼻洟(はな)をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、
せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹(ひ)くに足
るものには相違なかつた。しかし汽車が今将(まさ)に隧道(トンネル)