★阿修羅♪ > 雑談専用14 > 563.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
改革は誰でも賛成だと「郵政民営化賛成論者」は言う。
「民営化は改革の入り口であり、ここが進まなければ、何も改革できない。」とか「反対することは改革のスピードを落とすと言う事だ。」とも主張される。
このような意見は「イメージからの思考停止の主張」なのだと思う。
前に「選挙制度改革」と言うのが行われた。どこか良くなった事はあったのだろうか?
アメリカまねっ子二大政党制へ近くはなっただろうと思う。しかし、政党助成金という税金負担金とか、様々なマイナスの要素は指摘できるが、「ここが良くなった」と言う点はKには思いつかない。
政権交代が起こりやすくなる。
それは、多分確かなのだろうが、政策に差異が無いならば、どんなに政策を変えてほしいと思っても、期待すら出来ない。という絶望感を持つだけである。
そんな物のどこが改革だったのだろう?K的には「中選挙区」の方がマシだった。と思う。
しかし、当時は「選挙制度改革に反対する奴は非国民」的な世論があった。社会党すら「改革に反対する議員は選別して応援しない」という手法を用いた。
おそらくだが、相当数の国民が「改革」という言葉に魅せられて、本質的な内容は考えようとしなかった。
当時Kは「こんなバカな法案に賛成する奴はバカだ」と主張していたがKが好きだった上田哲氏も落選させられてしまった。(Kは好きだと言うだけで選挙区が違うので投票したわけではない)
反対派は与野党に関係なく存在したが、数的には絶対少数であり「抵抗勢力」と見られていたのが「Kが聞いた限りでは、どう考えても反対派の主張の方が正しい」としか思えなかった。
で、結果を見ても「どこが改革だったのだろう?」としか思えず「悪くはなったが、何も良い変化はない」と思われた。
「改革とは何なのだろう?」
多くの日本人は「先の選挙改革を良い改革だったと思っているのだろうか?」
そうでなければ、記憶力がないのか?という事になる。
中国との関係悪化において「敗戦時に中国に置き去りにされた、中国在留日本孤児が中国人に育てて貰った恩義」に触れる人はほとんどいない。「忘れてしまったのか、都合が悪いので触れないのかは分からないが、Kがほとんどいないと思っている」
公社化の時に「民営化は行わない」と条文に明記したことも忘れたように無視して、条文削除の手続きも行われていない。
改革とは「政治家を含め、全ての人が法律を守り、それがチェックしやすい体制にする事」ではないのだろうか?
一部の政治家の強引な手法がまかり通るような「政治体制を容認される体制」は改革なのだろうか?
論理的に説明できず、イメージ先行の希望的観測に頼るようなものは「改革という名の改悪」になる可能性が高い。そんな物を「必死で成立させる事に何の使命感を持っているのだろう?」
憑き物で憑きでしかないだろうとしか思えない。