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http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050805dde014040045000c.html
◇全国に500近く
書店員のネット投票で受賞作を決める「本屋大賞」(2004年創設)の成功をきっかけに、読者参加型の文学賞創設が相次いでいる。著名な作家・評論家を選考委員にすえる芥川・直木賞など伝統的文学賞に比べ、新興の文学賞はネット投票や読者代表の参加など“素人”への依存度が大きい。文学賞はどう変わろうとしているのか。【米本浩二】
「直木賞の選考委員の好みと書店員の好みとのギャップが大きかった。なぜ意中の作品が選ばれないのかという不満は以前からありました。初めて書店員が声を出したら、その声が読者に届いた、ということです」
「本屋大賞」事務局の杉江由次さん(34)が話す。全国の書店の有志10人がボランティアで運営する「本屋大賞」は書店員のネット投票で受賞作を選ぶ。前年に刊行された本が対象。1年目の04年は242書店・284人、05年は389書店・456人の投票があった。
04年は小川洋子さん『博士の愛した数式』、05年は恩田陸さん『夜のピクニック』が受賞。『博士−』は受賞前の10万部が40万部を超え、9万部だった『夜の−』も20万部を超えた。芥川・直木賞の受賞作に匹敵するか、それ以上の効果という。「打倒!直木賞」というキャッチフレーズが現実味を帯びる。
「書店員は本の目利きぞろいですし、客に身近に接していることで同時代性を敏感に感じてもいる。作家の権威に頼るのではなく、書店員が横のつながりで自らベストセラーを生み出す意義は大きい。あと10年は続けたい」と杉江さんは声を弾ませる。
ただ、ネット投票は文学性の追求からズレた“消費動向調査”の色合いも帯びる。
7月14日、芥川・直木賞選考会の会見。直木賞の選考経過の説明をした北方謙三さんに対し、恩田さんら人気作家の作品が早い段階で落ちたことに関して、「一般読者の人気は選考会の議論に反映されないのか」という趣旨の質問が出た。
北方さんは「私自身の小説観を信じて選んでいます。人気があるからといって、受賞作にしようという気持ちにはならない。賞を受けてもあとがうまくいかなかったら選考委員として責任を感じます。きちんと作品を読んで、今後作家としてやっていけるかどうかを判断したい」と明快に答えた。作家を選ぶのは作家だという自負がにじむ。
「作家は命をかけて選考している。私自身、文学賞は作家が選ぶべきものだと思う。しかし、後発の賞が同じことをしていたのでは埋没してしまう」。「青春文学大賞」(9月15日締め切り)を今年新設した『野性時代』編集長の堀内大示さん(39)が語る。編集部が応募作を3、4作に絞った段階で雑誌とネットで全文掲載し、ネットで投票を募る。最後に編集部、読者代表ら6人が大賞を選ぶ。
今年、同賞以外にも、「ダ・ヴィンチ文学賞」「日本ラブストーリー大賞」などが誕生。賞の性格は異なるが、著名作家に頼らない点は共通している。「青春文学大賞」の場合、「青春」をキーワードに「ジャンル不問」で幅広い層に訴えかける。「連載権を渡して才能を引き出す」というところは文芸誌をベースにした賞らしい。堀内さんは「作家の力を借りない分、“素”の力(素人のバイタリティー)を生かしたい。要は、たった1人の才能とめぐりあえるかどうかなんです」。
田口ランディさん、市川拓司さんら賞とは無関係にデビューする人も増えている中、賞の存在理由が問われる。
文学賞は全国に500近くあるが、受賞者即作家となるわけでもない。作家の保坂和志さんは『書きあぐねている人のための小説入門』で作家たらんとする人に向けて書いている。「どんなに小説が売れようが、賞をもらおうが、一作書くごとに、自分がレベルアップしていく実感がなければ小説を書く意味がない」
◇受け手側に発言権−−日本大学教授(日本近代文学)の紅野謙介さんの話
ネット投票が盛んになるのは、新しいものを見いだしていきたいという読者や書店員の参加意識の盛り上がりによるものが大きい。受け手側の人たちが発言権をもつのはすごくいいことだ。半面、文学をよく知らずに参加する人もいるだろうから、評価の精度が落ちる危険がある。
文学賞の乱立で相対的に文学賞自体の権威が下落した。同時に、作家のデビューも文学賞でなければならない必然性がなくなった。作家が文学賞でデビューするようになったのはここ70年のこと。しかも実質的には1950年代以降。それ以前は逍遥、漱石、鴎外らも文学賞などとは関係なく出てきたわけだから。文学賞は文壇というシステムの成立とかかわってきた。文壇の崩壊とともに、文芸の世界は次のステージに移りつつあると考えていいのではないか。
毎日新聞 2005年8月5日 東京夕刊