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人間には誰にでも、思い描く理想とか正義とか真理というようなイメージがあるのだろうとKは思っています。
「信じる者は報われる」とも言いますが、誰でも「真剣に望み、出来るという信念を持って、それに取り組めば、その理想に達することが出来る」と思っているでしょう。
グラップラー・バギというマンガで主人公は「男に生まれれば、誰でも世界一強い男になることを目指すが、様々な事で、夢破れていく」という主旨の事を言います。
先日、K1において元横綱曙は地元で闘いました。
Kの分析では「自分はまだ本気の本気になっていなかった、負けられない場所に追い込み、自分の潜在能力を絞り尽くし、絶対に負けないと言う気概を持って、闘えば、相撲界の頂点を極めた俺が負けるはずがない」と曙は「背水の陣に自分を追い込み、そうすれば、勝てる」と信じていたのだと思います。
結果は一ランドKO負けでした。
これが、現実という物です。
人間が全てを投げ捨て、魂を賭け、命すら投げ捨てても「自爆テロ」か「神風特攻」までです。その人の全知全能を燃やし、生命を燃やし尽くしても、「敵対する者を巻き込んで爆死する」のが限界と言う事です。
そこは冷静に受け止め、認識し、認める必要があるのです。
精神論では「現実の壁は突き崩せないのです」
ただ、それでは「絶対に駄目なのか?」と言われれば、そうとは限りません。
それは肉体的精神論の限界と言う事です。人間には知恵があるのです。
ビル・ゲイツ氏は「知恵一つで世界の頂点を極めました」
Kが言いたいのは、精神論に向かわないで、もっと「考えようよ」と言う事です。
連帯意識に基づく、高揚感だけでは、「良い気持ち」までです。
感情が満足するだけでは、実際には何も変わりません、それは自己満足の世界です。
考察者Kの考察は伊達ですが、考察の重要性は伊達ではないのです。