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(回答先: お互い信じる道を話したら いかがでしょうか。 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 8 月 01 日 09:22:11)
縄文ビトさん、レスをありがとうございます。
>私が見るところでは如往 さんは宗教に相当精通している、しかもそれを隠しながら書き込みを入れていると私なりの解釈をしております。多分幹部クラスにあたるのではないかと見ていますが、いかがですか。「最低限の手続き論」云々よりもあなたが信じている宗教が如何に信じるに値するかの論を展開したらいかがですか。それによって信者を増やすことが出来ると思いますが。
何を基準に「精通している」と判断されているのか分かりません。敢えて最初から宗教的話題を持ち出すことはしていませんが、別段それを隠す必要はないと思っています。しかし、阿修羅の参加者には宗教について造詣が深く、今も現在進行形で探究されている人が少なからずいますし、その人達に比べれば私の宗教の知識など高が知れています。
少し前のCarry That Weightさんとの交信を参照されるとお解りいただけると想いますが、一年で断念せざるを得なかった修士課程において専攻していたのは大枠では社会心理学にカテゴライズされる宗教心理学です。何せ一年という短い期間でしたので個々の宗教については下調べの段階で終わっていますので、大そうなことは申し上げられません。けれども、人間は何故宗教を必要とするのかといった問題は現在でも尚私の最大の関心事ではあります。
それから、私自身は嘗て何らかの宗教団体に属したことはありませんし、況してや幹部であったこともありません。これまでの私の言説からは、それが無神論的実存主義の系譜を引くものに最も近いと容易に推断できるはずです。しかし、研究の対象にしていたのですから、深浅の度合いを別にすれば仏教系5団体、キリスト教系4団体、その他3団体とお付合いをさせていただいたことは確かです。
学部の時代にはそれぞれが抱えている宗教的問題や哲学的問題の解決点を哲学(専攻)に求めていた人達も多かったと想います。けれども、研究者として出発するためには自己の信仰でさえもより峻厳に対象化する心掛けを必要としますので、たとえある特定の宗教を信じていたとしてもそれを以って唱導するような人は周囲にはいなかったように記憶しています。
さて、創価学会に関しては大分前になりますが、国立戒壇建立の画策の有無等、かなり本質的な部分に言及したつもりです。ただし、その時も今も自身の不勉強もあって推論の域をなかなか脱することができず、大へんもどかしく思っています。
さらに、「何故宗教による人間支配に反対するのか」について論を展開していく場合、少なくともマックス・ウエーバーによる「支配の3類型」をおさえることは常識でしょう。しかし、又しても縄文ビトさんはそれを抽象論と片付けられるのでしょうか。そんな私の予測を覆して欲しく思ってはいるのですが...。
また、会いましょう。