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最近、どうも「この人は少しおかしい、パラノイア症候群か?」と思えることが多くなってきました。被害妄想とか強迫観念症といった感じで、Kからすると「なんでそんなつまらない事で・・・」という事で切れるような状況に陥ります。
Kのつたない分析によると、ある程度共通の境遇と状況があるような気もします。
それは
「自分のしている仕事がつまらない、もしくは非常に不幸な状況下で仕事をしている。」と思っている。
「他人はすべて自分にとって敵意を持っている、もしくは自分より恵まれた状況下でヌクヌクと暮らしている」と思い込んでいる。
「どうなってもかまわない的な思考をしていて、刹那的にしか考えられない」
「基本的には真面目な性格であり、物事を楽観的に考えようとしない(できない)」
まあ、簡単に言えば、ストレスが貯まっていて、常に爆発の危険性がある。という感じであるが、ストレスによって「思考法そのものが過激になり、自分を不幸のヒロインというような場所に追い込み、常に他人の存在に対しかまえている。」という感じである。
一過性の感情の爆発ではなく、性格そのものが「パラノイア症候群」になっているのである。
しかし、そうだからと言って常に態度が粗暴と言う事ではなく、何かに心を奪われると「粗暴になる」のである。
先日、コンビニでレジに商品を放り投げる男性がいた、その前に「子供が騒いだ」のだがそので性格が豹変した。それまで「子供の機嫌を取っていたのが、突然、店員に当たり散らすという性格に変化した」のである。
誰もいないレジで「ここでは会計してしないのか!?」と叫き
「すみません、こちらのレジでお願いできますか」と店員が言うと
買い物かごの中を一度にぶち蒔けたのである。
これは、正気の沙汰の行動ではない。
Kは思わず殴ってやろうとも思ったが、自制したが、マジに切れそうだった。
店員にすれば、その客が少しでも早く出ていってくれるのが「願いだろう」と判断した。
Kが乱闘して騒ぎが拡大する事は迷惑でしかないだろう。と、咄嗟に判断したのである。
Kは時々切れる、自分の事ではほとんど切れないが、仲間とかが理不尽な扱いに耐えていたりすると黙ってはいられない。それでも、暴力まで行った事は記憶している限りではない。もっとも、仲間に取り押さえられた事はあるので、取り押さえられなかったらどうなっていたかは分からない。
Kの場合は切れても結構冷静に判断するようで、味方を殴るような事はない。
子供の頃、物に当たって懲りたことがあってからは「物に当たる」事は無いようである。
ただ、怒鳴り散らす事は多い。(多いと言っても年に一度もないだろう)
多分であるが、日本中がイライラしている。日本中が自分は理不尽に不幸だと思っている。日本中が「他人の仕事は楽そうだ」と思っているのだろうと思う。
パラノイア症候群という診断と表現が妥当かどうかは別にして
この辺を真剣に考えていかないと、いずれトンでもないことになるだろう。
パラノイア症候群に罹ったら「戦争を悪いこと」という判断すらできないだろう。
例えば、郵政民営化、これはパラノイア症候群の理論である。
過去の歴史でパラノイア症候群だったとされているのはアドルフ・ヒットラーが有名である。