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くがそうであったように泳げなかっ
たとしたら、おそらくひどい怪我を負わされるか、最悪の場合死を覚悟せね
ばならなかっただろう。「すぐに、この連中はわたしを埠頭から海に投げ込
む気でいるのだとわかった。これは一刻の猶予もない。わたしは一心不乱に
駆け出した。一人、わたしがぶつかった相手が転倒した。なんとか逃げおお
せたが、まったくパンチを食らわなかったわけではないし、さんざん罵倒と
悪態を浴びもしたのであった」
4.血で甘く味付けされた飲み物
ロンドンではすでに協会が熱心に支持者を募り、書物やパンフレットを配布
していたので、クラークソンが戻ってから2、3か月のうちに、世論には劇
的な変化の兆候が現れていた。当時はギャラップ世論調査[統計学者G.H.
ギャラップ (1901−84) が創設した機関が行っている標本抽出調査
法]などなかったが、大衆の嗜好を巧みに探ることで生計を立てている事業
者の一団があった。つまりロンドンの複数のディベートクラブ運営者たちで
ある。(たとえばよくセックスが取り上げられて、「夫婦が流行の不倫に手
を染めるのは、夫の側の堕落に帰するべきなのか、それとも妻の側の心変わ
りに帰するべきなのか」という風に、常に格好のディベートトピックとなっ
ていた。)これらのディベートクラブでは、奴隷制度がまず滅多に取り上げ
られることのない時期が何年も続いていたのに、突如1788年2月のロン
ドンの日刊紙によると、一般市民参加のディベート大会で、全14のうち半
数が、奴隷貿易廃止をディベート課題に掲げた。
ある新聞広告は「アフリカ出身者で何年間も西インド諸島で奴隷であった人」
が演説をすると約束していた。その匿名のアフリカ人とはおそらくオローダー
・エクイアーノ[1750?−97]のことだっただろう。また別の新聞記
事にはこうあった。「いまだかつてディベートクラブで見られたことのない
状況が目撃された。ある女性が課題について、参加者全員を驚かせたほどの
威厳と精力、そして知識をもって演説したのだ。その婦人の立場は奴隷貿易
反対であった」。学者たちによると、宗教的な集会を除けば、黒人ないし女
性が英国でパブリック・スピーチをしたのは、これらが史上初の機会であっ
ただろうということである。
民衆感情の最も重要な表明はごわごわした大判羊皮紙の巻物に現れ