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(回答先: 異議あり!!! 投稿者 考察者K 日時 2005 年 7 月 29 日 23:31:02)
>ですから、右派、左派の区別なく、真実の探求に役立つ情報ならば、保存をするべきです。
>特に、タブーと言われる物に近い「差別問題などの絡みでマスコミなども躊躇するような情
>報には一層の保存が必要」でしょう。
その通りです。場合によっては誹謗中傷も記録する価値があることもあります。
後になって「あいつは阿修羅でこういう書き込みをしていたのか!」と気づかさせるという効力だってあります。効力があれば価値はあるんです。
そーゆー過剰流動性を維持するサイト=全ての投稿が淘汰されず全ての投稿が残るサイト
であり、ある種の「結果の平等」サイトです。具体的には2ちゃんねるなどです。
阿修羅が同じことをする必然性がないのです。阿修羅が2ちゃんねると同じことをするのであれば、2ちゃんねるだけでじゅうぶんです。「マスコミなども躊躇する」ことは2ちゃんねるに、まさに書いてあります。相違は使い勝手=インターフェースだけになります。
「誰も淘汰されない」というのことですから、素晴らしい社会主義サイトになるでしょう。(はたしてそうか?)
その路線でいいのか、どうか? 要は出自が某匿名掲示板でありむしろ逆、過剰流動性擁護派です。だから匿名取締役氏の意見とは少し、というかかなり違います。
匿名取締役氏の場合、(もしかしたら違うかもしれませんが、)おそらく、自分が「いきすぎだ」と判断する投稿には一定の疑問をなげかり、管理板などで賛同者が集まったりしたときは民主制が担保されたと判断=投稿削除、ということになります。
これだと淘汰される奴が出てきます。
でも要的には、「結果の平等」的サイトにせよ、「民主制担保付制限」的サイトにせよもう厳しいと思います。
いずれにせよ極端にモノクロ化しなくても良いでしょう。大切なのはフタナリ的選択=第3の道があるから、それで行くべし、ってことです。
阿修羅は日教組の教育の影響だか何だか知りませんが、「淘汰されることは悪いこと。一部の人だけが残るのは悪いこと」というような守旧「サヨ」体質が少なからずある気がします。