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少し前にKは「生産性のある仕事にたずさわらない人には、本当の意味での仕事の喜びなんて感じられないのかもしれませんね」との意見を聞いて、思わずメモをしておきました(内容は要旨です)。
この辺はKも前に「パトスと言う物を考える」
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/532.html
と言う事で触れているように「前から、自分に中にある。計算では割り切れない部分もある」と言う点とも同じですし、妙に感心してしまいました。
その人の考えだと「特に金融業にたずさわる人とか公務員は、本当の意味での仕事の喜びからは遠いのかもしれませんね、まあ、そうでない部門というのはあるでしょうが・・・」とも言っていました。(本人は郵便局員ですが、地域のボランティアに非常に協力している人で、男性だけど料理しているときが一番楽しいという人です。)
で、ご本人は「郵便局の仕事は生活費を稼ぐための対価報酬を得る場」であって、勤務時間で切り上げようと思っている。そうですが、実状は「全く、そうはなっていない」そうです。それでも「出世したいからとか、超勤賃金がほしいとかと言う理由では働きたくはない」とも言っていました。
本人は「かなり組合運動にも役員と言う形で関わっていたとの事」で、まあ、郵政の裏も表も良く知っているようです。
で、今回はNJさんとの対話に中でも触れた「体制とルール」について考えたいと思っています。参考は下記
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/557.html
Kは「思考停止的な体制批判」はすべきではないと思っています。
この世界は「互いに譲り合ってやっていかなければ、巧くいく訳などないのです。」
体制だって、そのような整合性を模索しつつ努力をしている面もあるのです。
体制に反対する勢力は「反体制」です。それは、理想的な体制という「本当に実現可能なのか良く分からないイメージ」によって人達を誘導し、体制を覆そうとしています。
勿論、現行の体制には様々な問題点はあり、直させねばならない点は山にあります。
しかし、だからといって、自分の主張を通すために「暗黙のルール(他人の権利への侵害はしない)」と言う点に抵触するような行為が目立ち始めれば、規制という明示されたルールを設定せざるおえない、と言う事になってしまいます。
「個人の自由」と「それ以外の人の権利の保護」というのは基本的には反する性質を有しています。
Kは基本的には「その他大勢の立場で考えなければいけない(数の論理)」を支持しています。
しかし、最初に触れたような「それだけでは割り切れない物もある」とも考えてはいます。しかし、ここを無制限に認めては「混沌になるだけ」です。
それに無分別に体制批判は正義としてしまえば、テロすらも容認する事に繋がります。
Kは「他人に迷惑を掛けることによって注目を集め、思考を促す」と言う方法論には反対しています。
ところが、必ず一部の人は「拍手喝采」で歓迎するという風潮があります。
反体制側はこれによって「自分らの行動は正しいと評価されている。」と判断します。
実は2:8位で賛成者に比べて圧倒的に多い敵対者を生み出していても、自分に都合の良い情報のみしか評価しない。「主観的排他思考」に捕らわれて正常な判断ができなくなっている訳です。
人間はあらゆる妄想的宗教(思想信条も基本的には宗教です)から離れなければなりません。
これは「人間的な自立心を獲得する」と言う事です。企業の都合とか組織の都合によって、行動を限定してはいけないと言う事です。
ただし、一定のルールはあります。それは「他人の「人間的自立心に対して強制的な干渉してはいけない」し「他人の生活(現実)にはどんな不利益ももたらしてはいけない」というルールです。
Kの考え方には「体制への迎合しかない。」と主張する人がいます。
Kは「とんでもない、Kの思考法こそ体制に一番危険な思考法でしょう」と思っています。
単純反体制には体制の対処法が確立しているので、体制側としても与し易いのです。
Kのような思考法は「ステルス型の癌」のような物です。
Kのようなバカは騒ぐので別でしょうが、理詰めで考えて間違っている事は指摘するというのは無限増殖していく方向でしょうから、始末に悪いのです。
適切な対処は「日頃よりエリを正して、あまり無茶なことはしない。あまり理屈に合わない事は控える。」しかないのです。
ともかく、知らない内に増えていく訳です。科学が迷信をうち破っていくのを認めるならば、その方向は間違いなく正しい見方でしょう。(その方向が正しい理念だとは断言はできませんが、良い悪いではなく増えると言う事です)
今回はここまでです。