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(回答先: 縄文ビトさんへ 投稿者 Carry That Weight 日時 2005 年 7 月 26 日 22:23:53)
戦争板に置いて、邦人のみへの黙祷に対する議論があった。結論からいえば木村氏が仰せるとおり。
理由無き諸業の前に散ったイラクの子供たちの怨念の前には、我々の小さな議論や特定の感情からなされる黙祷など、その叫びのかたまりとともにすべて吹き飛ばされるだろう。(戦争屋は嫌いださんがおおせるとおり、黙祷は「想い」である。厳密に、祈りではない。)
かといって、Aと比べて、Bは小さき議論だからとして「議論すべきものではない」、とする答えには結ばれない。
議論は大なり小なり議論すべきであり、各々の立場に於いて重要なことであるし、軽んじるものでもある。
しかし、一旦、議論としての成立をみなされるものであれば、途中であやふやにすべきものでもない。
片方が放棄したのであれば、そのことは「片方」の「議論の放棄」として成立する。
確かに、もう一方側に、論客に逃げられるような性質のものがあれば、それは「人を掴む能力」として何かが欠けているのであり、本人がそれに気づかない場合において、その「もう一方側」に問題がある。
それは人心を掌握するもっとも必要な能力だよ。