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(回答先: 事実に基づいた、政治批評でなければ、意味をなさない 投稿者 乃依 日時 2005 年 7 月 25 日 11:31:32)
乃依さん、こんにちは。
横レスにて失礼します。
>太田龍さんを、批評させていただいていた頃からの私のなりの探求姿勢です、事実に基づいた、政治批評でなければ、意味をなさない、というのは。
太田龍氏の陰謀論(陰謀史観)には少なからず変節が見られるようですが、ここではそれへの言及は避けたいと思います。
先ず、「事実に基づいた」のどこまで“事実”に迫れるかといった難問があります。さらに、「事実に基づいた」政治批評であると言い募られても、受けとる側にはそれを確かめる術がないのが普通です。そこで、難問に挑んでいくプロセスにおいては陰謀を視野に入れるのは止むを得ない措置ではないのでしょうか。ただし、陰謀論に固執するのは却って視野狭窄に陥り、ミスリーディングされかねない危険性を孕むのでやはり見極めが肝心でしょう。
また、陰謀論を補完するものとして合作論がありますが、これなどは利害関係を措定することによって比較的容易に立論が可能です。けれども、人間は必ずしも利害のみで意思決定するわけではないでしょうから、複数のParameterを以ってして論考を重ねていく必要があるのは言うまでもありません。
ところで、私は、ネタを探し利用しようとしている存在がいるのは確実ではないかと想っています。世界的に見れば国際金融資本家や軍産複合体等がそれにあたるでしょう。彼等に予め陰謀の企図があったのか、合作の画策があったのかについて思考する場合、我々には推論を重ねていくこと以外に手立てがありません。固より陰謀や合作は秘密裡に行われるのが真情ですから、真実はなかなか表面化して来ないのが実情でしょう。今のところここ阿修羅では、自分達の存続の優位性確保のためには労苦を厭わないのが世界の支配層(政治的・経済的権力者群)の生態であり、彼等は世界の各地にそのためのネタ(紛争や社会不安等)を探しては最大限の利用を追求し、場合によっては時限的に協力し合いネタの育苗にも及ぶといった見解に落ち着いているのではないかと想っています。
事実認識から直ちに共通認識の形成に至らないのが現実ですし、匿名性が前提のインターネット上では実質的に追認し合うのが難しいことが大きな障壁になっています。可能なことは、会話・対話や情報の授受によって、各人が物事を考察していくときの思考のベースが少しは整地され得るということではないでしょうか。
また、会いましょう。