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筒井康隆 言語姦覚より抜粋 p141〜p143
選んでかすをつかむ
この諺を主婦に向かって言えば、九十九パーセントが「それはわたしのことでした」といって泣き出す。
「背が高くてスマートだから結婚しました。結婚するなり猫背になった」
「やさしい人と思っていたら、気が弱いだけで、三万五千円の使いこみがばれて自殺しました」
「東大出の秀才と思っていたら、気ちがいになりました」
「眼鏡をかけていないので結婚したら、三十歳で老眼になった」
「社長の息子だから結婚したのに、自分が社長になるなり会社を潰しました」
「明るい陽気な人と思っていたら、躁病になりました」
「豪快で男らしい人と思っていたら、酒乱になりました」
こういう話はいくらでもある。
なまじっか多人数の中から選んでいるだけに、選外へ除いた男性の中には自分が選んだ亭主より偉くなったやつはいっぱいいる。
それがよけい腹立たしくて亭主に当り散らす。
家庭不和、離婚、ということになる。
または家庭不和、亭主の飲酒癖、実家への避難、亭主の殴り込み、殺人ということにもなる。
さらには家庭不和、ヒステリー、亭主の浮気、三角関係のもつれ、殺人ということにもなる。
これはあながち選んだ男に欠陥があったというわけではなく、男を選ぶほどの見識もないのに男を選び、選んだ自分の見識を笑われるのが厭さに亭主の尻を叩くというそういった女を妻にしてしまったものだから駄目になった、ともいえる。
これは男にとって身の不運である。
しかし不運だけではない。 男も悪い。
女に選ばれて喜んでいたからいけないのである。
諺を逆にいえば、「選ばれてかすをつかむ」である。
男は女を選び、選んだ責任を果たす。
女も、自分を選んでくれた男について行く。
女が男を選んだのであれば、その男にすがりつき、尻を叩くようなことはせず、自分が働いて男を養ってやればいいのである。
「選んでかすをつかむ」というのは、選んではいけない、ということではない。
ものを見わける鑑識眼もないのに不平不満を並べたてるのは愚である、ということだ。
分相応、ということも考えずばなるまい。
飼いかたも知らずして高価な犬を飼い、殺してしまう。
見栄からでかい家を建て、借金を払えずに結局売りはらってしまう。
手入れのしかたも知らずして高価な刀剣を買い、見せびらかしていてぽっきり折ってしまう。
こういうことはいくらその品物に値打ちがあっても、本人にとっては「かす」なのだ。
貧乏なサラリーマンが重役の娘を色仕掛けでものにし、結婚したはいいが妻の浪費で一生うだつがあがらなくなったという話はいっぱいある。
持参金で釣って、東大出の秀才をものにしたはいいが事あるごとに自分の無教養さを思い知らされノイローゼになった農家の娘もいる。
選んで、自分が「かす」であることを思い知らされる場合もある。
つまらない話である。
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【ヒント】この男とか女とかを、例えば政党であるとか、我々が目指すべき社会であるとか、何でもいいから選択できるものに置き換えて考えてみたらよろしい。
自らが変わることなく、あなたがたは何を選ぼうというのか?
この一文が、あなたがたの心の中でどう変換され、理解されるかを見るのが楽しみです。(俺って残酷・・?)