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(回答先: 一般論で論理を組み立てるからおかしくなる。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 25 日 21:56:12)
ワヤクチャさん、こんにちは。
考察者kさんとの応答に関し所感を述べたいと思います。
お二人の主張にある決定的な違いはワヤクチャさんが何らかの政治的アクションを起すことを前提にしているのに対し、考察者kさんはそれには先ず人々の広汎な合意形成が必要だとしていることでしょう。すなわち、ワヤクチャさんは問題意識を行動理論へと組み入れようとされているのに対し、考察者kさんは事実認識と行動の有効性に拘り恰もそれを弁別と捉えそこに踏み止まろうと腐心しているようにも見受けられます。さらに、ワヤクチャさんが当事者能力は当事者意識のある人が自身で獲得していくものと考える立場であり、他方、考察者kさんは当事者能力のある人が問題解決を図っていけばよいとの立場とみることができるかも知れません。
こうした認識から、考察者kさんを何らかの政治的アクションへとモチベイトしようとしても殆んど徒労に終わると推察します。ただし、考察者kさんの主張の通りに広汎な合意形成ができるかどうか甚だ疑問を禁じ得ません。考察者kさん自身もそれほど楽観視しているわけではないでしょうが、もし当事者能力がある人にたいし問題提起し問題解決を図るように働きかけずにいるのならば、考察者kさんは現代版シニシズムに陥ってしまうことになるでしょう。
つまり、ワヤクチャさんと考察者kさんとでは焦点の当て処が全く違っているのですから、話が食い違うのも当然だと思われるのです。一方、ワヤクチャさんは運動の方向性の大枠を展望していても、それに至る道筋や組織論は不確定で目下は模索中というのが実情ではないでしょうか。しかし、私はそれを新たなる道筋や組織論の構築を目指したものだと肯定的に解釈しています。何故ならワヤクチャさんがこれまでにも社会問題や政治問題を全く等閑視していたわけではないことが、その論調からも十分見て取れるからです。
ところで、ワヤクチャさんと考察者kさんとの間に社会変革にたいする志向性の強度や見解の相違を生じさせている大きな要因は、まさしくトライアル(政治的アクション)の多寡によるのではないでしょうか。なかなかこのギャップを埋めて対話が成立し、さらに発展させるのは非常に難しいと想いますが、ワヤクチャさんが情況把握の材料として考察者kさんの現状分析を参考にすることは十分可能だと考えますし、その点に関して言えば考察者kさんも応答するに吝かではないのではないかと想っています。なるほど運動の現場から見れば傍観者的に映りますが、考察者kさんの論調はご自身は当事者能力を有さないとした分別による限界性を度外視すれば、プレーンで極々妥当なものでしょう。
各方面にわたるワヤクチャさんの活躍とそのタフさぶりには敬服しています。ただ、どこかでエネルギーが途絶えたり、気持が萎えてしまうことを懸念しています。どうか少しペースを落としてゆっくりやってゆきましょう。でも、相変わらず縄文ビトさんを受けとめようとする気概を持ち続けられている人間的優しさからみても、こうした呼びかけは無駄かも知れません。
それよりも、たまにはATTACのミーティングや集会に参加してみては如何でしょうか。いろんな人達の雑多な集まりで紆余曲折はありますが少なからず啓発されるものがあるはずです。ワヤクチャさんもご存知のトービン税は変革のメイン・ストリームたり得なくとも社会改革のための重要な切り口になることは間違いないでしょう。多分、私と同様にワヤクチャさんも本業以外のアクションがやや不足しているのではと思う今日この頃であります。
また、会いましょう。