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・・このように安易に「わかっている」と思える学生は、また安易に「先生、説明して下さい」と言いに来ます。
しかし、物事は言葉で説明してわかることばかりではない。
いつも言っているのですが、教えていて一番困るのが「説明して下さい」と言ってくる学生です。
もちろん、私は言葉による説明、コミュニケーションを否定するわけではない。
しかし、それだけでは伝えられないこと、理解されないことがたくさんある、というのがわかっていない。
そこがわかっていないから、「聞けばわかる」「話せばわかる」と思っているのです。
そんな学生に対して、私は「簡単に説明しろって言うけれども、じゃあ、お前、例えば陣痛の痛みを口で説明することが出来るのか」と言ってみたりもします。
もちろん、女性ならば陣痛を体感できますが、男性にはできない。しかし、それでも出産を実際に間近に見れば、その痛みは何となくはわかる。
少なくとも医学書だの保健の教科書だの活字のみでわかった気になるよりは、何かが伝わって来る筈です。
何でも簡単に「説明」さえすれば全てがわかるように思うのはどこかおかしい、ということがわかっていない。
この例に限らず、説明したらわかることばかりじゃない、というのが今の若い人にはわからない。
「ビデオを見たらわかる」「一生懸命サッカーを見たからサッカーがどういうものかがわかる」・・・・・・。
わかるというのはそういうものではない、ということがわかってない。
ある時、評論家でキャスターのピーター・バラカン氏に「養老さん、日本人は“常識”を“雑学”のことだと思っているんじゃないですかね」と言われたことがあります。
私は、「そうだよ、その通りなんだ」と思わず声をあげたものです。
まさにわが意を得たりというところでした。
日本には、何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある、というのは別のものだということがわからない人が多すぎる。
出産ビデオの例でも、男たちは保健体育で雑学をとっくに仕込んでいるから、という理由だけで、「わかっている」と思い込んでいた。
その延長線上から、「一生懸命誠意を尽くして話せば通じるはずだ、わかってもらえるはずだ」といった勘違いが生じてしまうのも無理はありません。
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http://www.asyura2.com/0502/lunchbreak5/msg/564.html
既に、「こいつには、何をどう説明しても無駄」ということが「わかって」いた都会暮らしさんにとっては、執拗につきまとわれることは、大変な迷惑だったろうな。
自分が「わからない」のは人のせいであり、傲慢にも誰彼かまわず「わたしに説明せい」と迫ることが対話だと信じ込んで、人が投稿すると見境なく反応して食らいついていくところをして、都会暮らしさんは「パブロフ犬」と例えたのではなかろうか?
人との距離感を全く取れない、他人の迷惑を一切斟酌しないところも犬並だ。
Kさんと都会暮らしさんの一対一の議論は実に面白かったが、そこにこのパブロフ犬が吠えかかり、議論そのものがブチ壊され、また華麗なる表現力と豊かな語彙、繊細な感受性をもって多くの人に“気づき”を与えてくれる稀有な投稿者を、我々は失ってしまった・・。
あ〜あ、残念・・。
何かが“わかる”という、その深みは、個々人の感受性の高低に拠る。
私が見てても、このワヤクチャ氏の感受能力はおよそゼロに等しく、おまけに虚栄心が強く、自分がわからないのは他人のせいであり、「自分がわからない」その説明責任を相手方に強要し、常に自分は正しく他人は間違っており、・・。
いけねえいけねえ、私もこんなこと書くと、また吠えかかれる。(汗)
はえ〜とこ退散すっぺっ!