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我々全員が資本主義の下でがんじがらめに支配されて生きているという現実が分かっていない人がいるようだ。
そういう人間にとってはこの支配から逃れる為の闘争やその為の連帯など必要だとは感じられないだろう。
ただ、それだけの問題だ。
「オレの事はほっといてくれ。」という人は自分は個人で生きていけると思っているらしい。
親から財産を引き継いだか仕事がうまくいって一生食うには困らないからなのかも知れない。
私を含め多くの人間にとってこの社会はそうではない。
生きるためだけでも日々闘わなければならない。
仕事を続けるためダケでも職場での競争がある。
連帯が必要で無いという人はそういう日常では無いのだろう。
だから、話が合わない。
それだけの事だ。
これが階級の相違という事なのかも知れない。
天皇制が存続している以上、いかに現時点で象徴天皇制だ、政治権力は持っていないといったところで、将来なんらかの政治的役割を果たす可能性はある。
現時点でも靖国神社に象徴される国家神道の核として天皇制は存在するのだ。
「オレは天皇制から何の被害も受けていないし、ああいう人達がいてもいいのでは無いか?」などと言う意見を持つ人も多いだろう。
マスコミなどを通じて「敬うべき存在としての天皇」というイメージに日本国民は洗脳されてきたのだ。
我々は天皇制からも「柔らかい支配」を受けているのだ。
この事は中々自覚はできないだろう。
しかし、その事を指摘していかなければならない。
このようにして闘争は抜き差しならぬ形で常に存在している。
「オレには関係ないよ。」と思う人にとっては考えたくも無いだろう。
自分が支配されているなんて。
支配しているのにそれを支配と感じさせない事によって支配は強力に貫徹しているのである。
強力であればあるほど奴隷はその現実を受け入れたくは無い。
その現実を見せようとする人に反感を持つだろう。
小泉が悪政を行っていてもそうは思いたくは無いだろう。
悪政だと思った瞬間、何とかしなければならなくなるからだ。
だから、悪政だと知っていても気がつかないフリをしたいだろう。
長壁さんがゆで蛙と呼んだのはこの事だろう。
闘争に参加したく無いと思う人を無理やり参加させる事はできない。
せめて、闘争をやっている人間を批判するのは控えてくれと言うまでだ。