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(回答先: 自分の主張は取り下げずに異なる立場の人と共闘するという事です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 20 日 14:45:51)
>ワヤクチャさん どうもKの手には負えそうもないのでここまでにしておきます。
どうぞ、ワヤクチャさんの信じる道を進んでください。Kはもう知りません。
本来ならまあ、「お好きにしてください(本文無し)」で終わらせたいのですが
少しだけ、意見を書きましょう。
【しかし、小泉の場合は靖国神社参拝はそれほど重要なのでしょうか?私的な心情であればそれは日韓・日中との友好の為にやめるべきでは?】
とのご意見ですが、Kの主観では「そうですね」になりますが、実際にはそれほど単純なものではありません。今現在も「靖国参拝賛成は世論調査上40%」程度あります。昨年は50%以上でした。
小泉総理の靖国参拝は「支持者へのポーズ」という意味で、本人にとっては大変重要なのです。「それほど重要なのでしょうか?」などと思っているのは「視野狭窄」になっている左翼系の人だけです。
Kに言わせれば、君が代反対というのは「天皇制廃止のための手法」の一つです。
少なくとも「天皇制は認めるが、君が代は賛成」という人は超へそ曲がりの人でなければいないと思います。
そんな「枝葉の運動」すら「棚上げもできない」という強情な事では、自分でバリアーを張りながら、「小泉打倒するからこの指止まれ」と言っているのと同じです。
共闘とは「相手の立場を理解し、自分の要求は出来るだけ我慢し(棚上げでも、先送りでも、あきらめたフリでも、何でも良いのですが)、双方が互いに歩み寄る事がなければ成立しない」とKは思います。大同団結だと少し、程度が下がって野合の意味合いもあるでしょうが・・・
戦略と戦術の違いは分かりますか?戦術論にこだわる人は「絶望的な戦い」でも「最後の一兵まで戦え」と言って玉砕します。戦略のある人は「作戦的撤退とか、偽りの降伏も考えます。」
どちらが、後世に望みを託せるか?被害が少なく済むか?
書くまでも無い事です。
自分の主張を変えようとしない態度は「立派」かもしれませんが、物事、時代、周囲に合わせて「常に柔軟に対応する」という事も考えなければいけません。
要はバランス感覚であり、「相手の立場でも、考えて見る」事です。
もし仮に「赤(左翼系)は国外追放だ!天皇は万世一系の神なので旧天皇制度を復活させることこそ日本再生の道だ!」と日頃主張し、大同団結が必要な時にも「その主張は変えない」と叫ぶ人と握手がしたいですか?
緊急時ならば、場合によっては「目を瞑る」事もあるでしょう。
しかし、彼らは方法論として「赤は非国民」というような「機関誌を配布」していたら?
Kならば「私たちの協力を求めるなら、せめて、一緒に行動する間くらいは、機関誌の配布は止めて貰いたい」と求めますね。
まあ、何を書いても無駄そうなので、この辺で切り上げます。
どうも、お疲れ様でした。