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(回答先: Re: 強制には反対すべきです。>一般論としては正解でしょうね。 東の空さんへ 投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 16 日 20:46:00)
Kさんどうもです。
私の意見を書いておきます。
「君が代・日の丸」の強制への反対というのは、個人の「思想・良心の自由」への侵害であるから反対なのです。
「思想・良心の自由」は心の中だけでなく、表現、行為も含みます。
どこまで認めるかという問題はありますが、少なくとも精神的、文化的なことに関しては自由を可能な限り認めるべきと考えます。
国を愛する仕方というのは個々人が自らの判断で決定すべきものです。
納税義務や刑法を遵守するといったことと、国旗、国歌といった国の文化的側面への個人の関係といったことと同列に扱うのは間違いです。
教育は現行では文部省の指導要領にそって行うべきものとなっていますが、これからは親と教師が中心になって自治的に行って行ける様、変えていくべきものと考えています。(現状は反対の方向へ向かっていますが)
「口パク」まで批判したのは、この件が個人の「思想・良心の自由」への侵害に関わっているものであり、その抵抗として、個人が明確な意思表示をすることが重要と考えたからです。よい意味での個人主義の戦いです。
今の社会の様々な問題の基本には人々の「自由」への考え方の錯綜、混乱があると思います。
一方では「経済の自由」が助長され、結果、一部を除いては、個人として経済生活に忙殺され不自由に至り、
他方では「行き過ぎた自由が社会の退廃を招いた」「義務を教えなければ」と信じられ、教育の場で、「思想・良心の自由」が侵害されているのです。
社会全体で「自由」の観念を煮詰め、模索し、互いに「自由」を尊重しあえる新しいあり方を見つけていくのが今の時代の根本にある課題であるのです。
それから、こういうことは考えておいた方がいいと思います。
私たちは今の社会の指導層と同じ教育を受けています。つまり同じように洗脳されている。同じ思考様式を訓練されている。
だから、だまされやすい。指導層と共犯になる可能性がある。
新興宗教からの脱退者がその宗教を批判している話など聞きますと、
「批判してるけど思想的には普通の人よりその宗教の世界に近いよなあ」と思ったりします。
同じようなものだと思います。
私は「個人主義」「自由」という概念を肯定的に使いますが、Kさんは割と否定的使うように思います。
こういう思想的相違がどうして生まれるのか関心をもっています。
それでは^_^
以下に勉強になった文書のリンク先を書いておきます。
「君が代・日の丸」の強制の問題と小さい政府との関係も考察されています↓
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/nisihara.htm
教育というものの位置づけが考察さています↓
http://www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym/tanaka_kyoikuken.htm