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(回答先: ぎゃはははははははははっ! なーんだ、今、気がついた♪ 投稿者 都会暮らし 日時 2005 年 6 月 16 日 07:52:31)
全ての主張は正しく、また同時に間違っている。
非AはAではないがAでもある。
と言うのは哲学ですね。真理という物を追求している内に堂々巡りの袋小路に陥って「真理はどこにでも存在するが、また同時にどこにもない」という事を確認して、なんか自分の思考能力が一ランクUPしたような気になる「思考遊び」の事を哲学とKは規定しています。
まあ、一種の真理でしょうが、現実的に生きていく上ではほとんど役には立ちません。
しかし、肉体の限界値付近でも「平和でいられるなら」それは、それで結構なことです。
人間は「脳内麻薬の分泌を求める生物」です。「マゾ」というのも「苦行」というのも「苦しい登山」も「フルマラソン」も、ある意味では「脳内麻薬の分泌」の手段としての一面もあるのでしょう。
実際は苦しい仕事でも「自分を誤魔化して楽しく思うようにする」と言う事は可能でしょうし、間違いでもありません。
しかし、その思考を広めることは「あきらめ」であり「(資本階級的な)敗北宣言」と思われます。
まだ、僅かな希望を持っている人に「あきらめましょう」言うのも正しい事ではないでしょう。
Kは前から主張していますが個人的に「悟る」事は良い事だし、そのような人の「考え」に干渉も強制もしようとは思ってはいません。
ただ、そのような「個人思想(個人的な主観を変化させる事による幸福感)」は他人に広めるような代物ではないし、改善を求める人にとっては迷惑な主張だと書いています。
この議論は哲学論と現実論の差があるので結論など出ないのですが、現実的には飯を食わねば肉体は滅ぶのです。
幸福感を広めて現実的な改善や工夫をする事を妨げる事は多くの人にはマイナスになるのだと思います。