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(回答先: ヒンデイーの参考(A+非A) 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 6 月 10 日 03:10:40)
ODAウォッチャーズさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
アジアの中の日本史を俯瞰してみて、私は古くから日本では二項対立ではなく、二項併存の思考形式が育まれてきたと捉えられると考えています。これは何も日本が特別だからではなく、またそのような思考形式を享受すべく日本人が選ばれた訳でもありません。それは、アジア史の生成過程における情況の所産であり、たまたま日本がそれを醸成する揺り籠であリ得たのに過ぎません。
例えば呉人(初期の渡来人と謂われています)の侵入以来、要因の一つとして彼らが大陸での敗残者であったがためにポテンシャルの点からも過酷な日本支配に及ぶことができなかったことが幸いし、日本は二項併存という受動的な思考形式による成果を体験的に洗練させ身につけていったと推察します。そのことを宗教学者の中沢新一氏が、和歌における枕詞と漢語の併記を挙げて例示しています。
つまり、極大雑把に表現すれば「A+非A」の融合によって自ずと何かが生じるという思考形式です。さらに、それは第一義的に“場”という条件によって担保され得るもので、全ての時間(歴史)はそこ(ブラック・ホール)に収束していくことになります。[絶対矛盾の自己同一]『「存在と非存在」の同時的共立の問題に、少なくとも、1500年以上は、アジア人は、挑み続けています。 』と、ODAウォッチャーズさんのご指摘にもありますが、在来の「A+非A」の融合の理論はすでに敗戦の時点で対応能力の限界に達していたと想われます。
戦後の早い時期に日本人でこの問題に取り組んだ代表者は理系出身の吉本隆明ではないでしょうか。私が彼から学んだものは、標題のような思考の方法でした。しかし、Formulaを編み出すのには相当な才能を必要とするでしょうし、遺憾ながら私はあまりに力量不足です。それにしても、Functionの措定とParameterの選出には毎回難儀しています。ただ、文系の私がデカルトを起点にしてヘーゲルからハイデガーを経て辿り着いたこの思考方法は、本当は最も基本的でしかもひょっとしたら二項対立の思考形式を超えるものになるかも知れないと思っています。
また、会いましょう。