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如往さんが「バカの壁」(養老猛司)を推薦されていますね。
一応、私も読んだのですが。
「人は自分が得たいと思う結論を得る為に話を聞く。」というような事がありましたね。
つまり、予め「この対話はこういう結論に持っていこう。」と思っていて、それ以外の結論になりそうだったら猛然と反発して修正するか、相手の話をシャットアウトして聞いてしても意味不明(ゲシュタルト分解)の音の羅列の様に聞くという事がありますね。
私も上司から怒られている時になるべく上司が言っている意味を自分で受け止めないように努力している自分に気が付く時があります。
受け止めたら自分が崩壊するとでも思っているのでしょうか?
大概の大人というものは自分の現在の思考体系を守る為にこのような対話内容の取捨選択を行っているように思います。
また、そういう態度が大人になる事なのかも知れません。
ところで、精神科医という職業は、このような自分を守る態度では患者の心の内部まで入り込めないという事があるようです。
患者の心の内部に入り込む為には患者の内的論理に対する理解(同調)が必要であるようです。
一旦、患者の内部に入り込み、その中で回復の芽になるものを掴みそれを育てていくというやり方を取るようです。
精神科医の中で脱構築という方法論が受け入れられたのもそういう事情でしょう。
私も対話において同じような方法論を使っていきたいと思っております。
自分の論理を一方的に押し付けるのでは無く
相手の論理に徹底的に付き合いながら共通認識を作っていくというやり方です。
場合によっては私自身が飲み込まれてしまう場合もあるでしょう。
飲み込まれるぐらいのものであればそれまでの事だと思います。
まあ、でもこちらがこういう態度であっても相手が最初から結論を決めている場合にはほとんど何の進展も無いでしょう。
しかし、その対話の中で、相手が投稿をしないまでも自分の論理のおかしさに少しでも気が付いてくれる事を期待します。
何かこういう言い方は自分が優位に立っているような言い方ですが。
先日、ある人から「靖国参拝についてはどう思うか?」と尋ねられたので自分の考えを述べると「日本人なのに何故中国の方を持つような事を言うのか?」と言われました。
「靖国参拝批判=中国擁護」になっているのですね。
これは、日中の対立の状況の中では全ての人は日本派か中国派に2分類されるという事のようだ。
これがおかしいと思う。
私は靖国参拝批判は反戦派として行っているのであって
中国派として行っているのでは無い。
こういう事がどうしても分かりにくい人がいるようだ。
しかも結構そういう人が多い。
AとBがあった場合
非A=Bという発想はどこから生じるのか?
非Aは非Aという事を表しているだけで
Bとは限らない。
こういう事が分かりにくい人が多いのだ。
二項対立図式の下では第三項以上は存在を許されないかのようだ。
この人間の思考方法の特徴は一体どこから生まれてきたのか?
何でも二分割して考える習慣が小さい時から刷り込まれているように思う。
男と女
秀才と鈍才
美人とブス
味方と敵
好き嫌い
愛してると愛していない
ああ、やだやだ。
ああ、やだやだやだ。
こんな二元論なんてヤダ。
自分が生きていく上で特に関係なさそうな事には関わろうとしないとか。
取りとめも無く書いてきましたが、
皆さんは「話が通じない。」ってどういう現象だと思われますか?
まあ、論理的で無い人には話が通じにくいってのはありますけどね。
世界観や論理の体系が違うと理解不能になるってのもあるでしょう。
「どんな敵な攻めてくるかも知れないのだから、備えあれば憂いなしで軍備は増強すべだ。」と思っている人に軍縮会議の開催のメリットを説明するのは至難のワザとかありますね。
何か「ガードの論理」でバチンと跳ね返されているような感じがする時もあります。