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(回答先: Kの主張のまとめ的日本改革論 その1 投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 04 日 23:42:36)
現在の日本で必要なのは「最低限の生活保障制度」と「道徳教育」です。
お金重視の個人主義は「向上心維持」の意味合いで必要ではあるが、行き過ぎた時には「法治国家の破壊」になる。自殺、犯罪増加、社会的義務感の欠如、ニート増・・・
出生率の低下と結婚の晩婚化、貯蓄志向というのは「社会の保障制度において国に対する絶望感」の表れでもあるが、自由主義偏重の方向性の中で「社会的責任感(社会を維持しようと言う意識)が希薄」になったと言う事であろう。
確かに「国民を管理する為にあり、自分の生活を向上させる職業としての政治家を養う政府」という意味合いの政府ならば、そんなモノは「無理に維持する必要はない」だろう「それが、生活保障も(民間に期待することで放棄し)しようとせず、領土の防衛と政治家(自分)の生活向上しか考えていないのならば、なおさらである」
現在の小泉路線の郵政民営化法案などは「私的怨念の政策」という気すらする。
しかし、国という枠組みと日本の社会という故郷は「守り、維持」する必要がある。国と政府は別であり、無政府主義者であっても「国造りという義務から逃れることはできない」
それは「道徳教育」として「教えるのではなく、共同創作(共に考えて創造)していく」必要がある。現在の教育で最大の問題は「画一的な詰め込み型の押しつけ教育」である事だ。
一方的な「枠に当て嵌める」という政府や資本層の都合を土台にした教育制度が「日本の次世代に想像(創造)力と、気力を奪い、反発を招き、自己中心的な人格を形成させる」のである。
行き過ぎた「自由偏重教育」が、日本を滅亡に誘(いざな)うのなら、どうするのか?
「人間は支え合って生きる」と言う事「人と言う字は1と1が支え合って人になる」という事を「教えるのでなく、分からせなければならない(強制でなく、感覚で理解させる)」のだろう。
それが、道徳教育である。他人の人権と人格を尊重し「その上で共に社会を育て維持して行く」その為の方法論を「自分で工夫し、自発的に自ら積極的に参加していく」という事に喜びと生き甲斐があるのだという事を教えるのが、道徳教育だろうKと思う。
そんな余裕も時間も無い。必須科目で手一杯で、教師の人材も人数も不足している。という意見は当然ながらある。だろう、現状では「Kの主張を理解できる教師」がどの程度いるかすら疑問である。サラリーマン教師には「聖職」という意識が希薄になっているだろう。しかし、今ならば人材面と言う意味だけならば「まだ、ギリギリで間に合う」と思う。
Kの考えが正しいのならば、残るは「資金問題」である、道徳教育は従来型の一方通行の「教える教育」に比べ「(対話の中から)自ら答えを見つけさせる」と言う意味で時間と手間が掛かる。勿論膨大な資金が必要となる。しかし、企業利益重視の企業といった民間には任せられず、尚かつ、日本の未来を考えた上では「絶対必要な事だ」と思う。
相続税原則100%課税案が必要であり、同時に多くの人のボランティア参加(寄付含む)が必要である。このような事に参加する事こそ「本当の意味で名誉」な事だとも思えるので「名誉教師」とか「名誉教育者」というような「名誉」を送ることで、好循環を作り出す工夫も必要だろう。その事が更なる「工夫の創造と、確実な定着性を維持する事」に繋がっていく・・・
「小さな政府」に向かう前に政府が主体的に行わなければならない事は「ある」事に気付かなければいけない。まさか、教育分野で「外国にその国に有利な洗脳教育」をさせる訳にはいかないだろう。