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(回答先: 賛成です 投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 01 日 18:35:55)
>Sun Shineさん ご意見に感謝いたします。m(__)m
今日、ラジオのニュースで「低年齢化する凶悪犯罪と自殺についての考察を聞きました」
分析によると「圧倒的な対話の不足が根底にある」との事でした。
人間は自分の本音を「たった一人が真剣に聞いてくれれば、常道から外れない」のだそうです。しかし、今の社会は「みんな忙しいので、親も、教師も会話はしてくれない」そうです。
反動で子供は「個人の精神世界を形成し、刺激か狂気か自己嫌悪に填っていく」のでしょう。その先には凶悪犯罪と自殺が待つ確率は「普通の人」よりも多いのでしょう。
人間はもっと会話をしなければなりません。
それには、思いを言葉にするという作業が必要になります。これが以外に難しい、良い表現がなかなか思いつかず、もどかしいと言うか、ともかく自分の主張の半分伝われば上出来で、相手に思わぬ誤解を与える事によって、勉強しながら進歩していくのです。
まあ、完璧な表現力などは、死ぬまで修行しても身に付かないので、次にはコミュニケーションを考えるようになります。今までは「自分の言いたいことを、伝えると言う事が主」でしたが、次には「相手の言うことを聞く」と言う事です。ただ「聞き流す」のなら簡単ですが、ここで重要なのは「相手の言いたいことを引き出し、理解する」ということです。
大抵の日本人は(Kも含めて)ここが下手です。会話になれている人でも「自分の主張を言葉にするのが巧み」なだけで「相手の意を汲む」というのは駄目な場合がほとんどです。
そこを勉強(修行)するには「議論」が最適です。相手の主張が理解しなければ、頓珍漢な反論が返って恥をかくからです。
また、人間には色々な考え方の人がいる事を知ることにもなります。自分では「火を見るより明らかな事を全く理解しようとしない人」とか「自分では当たり前と感じている事を否定する人」とか「自分では全く考えもしなかったことを考えている人」とか・・・
そこで、自分の狭い見識に広がりを見いだせるか、反論を工夫する中で新しい考察レベルに至れるかもありますが、他人という存在を「自分とは別の価値基準を持つ、独立した存在で、自分という物語の脇役として配置されているのでは無い」と気付き、それは同時に「自分という存在は何か?」という考察になるのです。
まあ、言葉は整いませんが、ともかく「議論は大切」なのです。(笑)
では、では