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(回答先: 南京の素朴な疑問 投稿者 ユーコ 日時 2005 年 5 月 27 日 08:41:22)
>それほど当時の日本の報道統制は徹底していたのでしょうか?
http://www.geocities.jp/yu77799/houdoukisei.html
「南京事件」と報道規制
「南京占領」当時の日本の新聞記事を持ち出して、「こんなに平和な風景なのだから南京事件などなかった」という不思議な議論をする方を、よく見かけます。そういう方は、当時、軍部に都合の悪いことは一切報道されなかった、という高校社会科レベルの「歴史の常識」すら、頭にないのでしょうか。
当時の「報道規制」の実態についてはいろいろな資料で見ることができますが、ここでは、『国論』昭和12年11月号の記述を紹介しましょう。「日中戦争」初期のメディアに、このような「軍部批判」とも言える記事が掲載されたことに、ちょっと驚かされます。
『国論』昭和十二年十一月号 支那事変特集号より
新聞往来 言論統制と新聞の単調
広告収入減と紙飢饉の悩み 新聞は漸く淘汰されん
戦況報道
日支戦争が始まつた当時、何れの新聞社も、読者も一斉に連想したのは、満州事変における新聞社の活躍と、其の間に於ける強弱新聞社の著しい等差を見せたことであつた。
満州事変に於けるニユースの報道は一つは地理の関係もあつたらうが、其の機構設備の上から、平素張つてゐた通信網の関係から、大阪の二大紙、延いては東京の東日、東朝両大紙が群を抜いた活躍と、其の報道の迅速優秀であつたことである。従つて此の四紙は莫大な費用を使つたことが勿論であるが、その代り著しく発行部数の増加を見せたのであつた。
其の例から推せば、日支事変に当面しても亦、大阪系四紙の活躍と其の発行部数の激増を見せ、其の勢力の増大著しきものあらんとは、大阪系四紙自らも、他の新聞社も、世間も斉しく期待したのであつた。
然るに、事変報道に関する軍の意向は、厳粛に之を統制することに努め、軍の発表以外の記事は勝手に之を掲載することは許さなくなつた。事変始まるや、各社競ふて従軍記者を派し、又通信機関を強化拡大して之に備へたのであつたが、軍の統制の厳粛にして、記事を統制されたのには、何れも一驚を喫したのであつた。
戦死傷者の名前及び其の郷実を一々報道することは、銃後の父兄、親戚、知人等に取つては非常に関心を持つことであり、従つて新聞読者拡張の上に資すること大なるものであつて、新聞経営の上からは極めて