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「調和的」というのは、一般的には相手に合わせるとか、周りに合わせると言った感じで捉えがちですが、私はこれは違うと思っております。
自分が相手に合わせる状態というのは、社会という枠組みを重視し、組織を守るための規律や法律に守られた状態と考えており、「調和的」というよりは、「組織的」「服従的」「隷属的」といったニュアンスに近いものだと考えております。
それは決して調和のとれた状態ではなく、規律に強制的に自分を従わせ、従わないものには、罰や罪悪感を与えたり、迫害し、排除したりすることへと繋がる非平和的な考え方だと考えております。
私の考える「調和的」とは、相手を相手のままに居させることができ、自分を自分のままに居させることができる状態を、「調和的」と考えております。つまり依存しない自己中心的考え方であるともとれるかもしれません。
つまり人の価値感や生き様や考え方を尊重し、相手をなんら強制することもなく、相手が相手のままで自然に自由に居させることを許すことができる状態、そして自分も同じように自由な思考で、ありのままの自分を表現できる状態が「調和的」であると考えております。
そして完全なる調和的状態の社会とは、すでに法律や規律、形式、礼儀、流行等は必要のない、のびのびとしてありのままの自分でいることのできる社会であると私は考えております。