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(回答先: 南京の素朴な疑問 投稿者 ユーコ 日時 2005 年 5 月 27 日 08:41:22)
1937.12.1設けられた安全区委員会(それまでに南京に住んでいた委員長ドイツ、書記長米社会学博士 を筆頭に、敵国要人米人7名、英人4名、ドイツ人3名、デンマーク人1名の計15名)が、日本軍が入城し た12月13日から翌年の2月9日までの間に本国等へ出した61通の文書のうち、人数に関するものは3通全 てが、当初の南京の人口は「20万」と記載し、その中で、日本軍の蛮行として伝えた425件の事件は、 大虐殺はおろか死亡者数は主に刑事犯の処罰が僅か「49人」のみしかなかった。
南京市の地域管理をまかされた有名な「安全区委員会」の報告資料も提出します。
安全区委員会は当時日本大使館に毎日のように文書を送っております。
食料支援要請も多いのですが、「日本軍の犯罪行為に対する被害届」が増加しつづけていました。
この安全区委員会が記録した日本軍の暴行(1937年12月12日から38年2月7日)
殺人 傷害 連行
12月12−18日 26人 9人 334人
12月19−1月10日 6人 11人 115人
1月11日ー2月7日 17人 24人 84人
合計 49人 44人 390人
「殺人事件は25件被害者49人、民間人大量虐殺の告発はまったくありません」
安全区委員会は外国人が主体となったどちらかと言うと反日的な組織にもかかわらず、この報告では
49人の殺害しか日本大使館に抗議されていません。しかもこの被害届自体、中国人の伝聞情報を報告したにすぎず
委員が市内を自由に歩き回っていたにもかかわらず、直接殺人を目撃したことは一度もありません。
つまり大虐殺は無かったのです。 以上