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デジタル思考が蔓延している。デジタル思考とは「気に入らなければ、即、悪!」という思考である。郵政(公務員)が気に入らなければ「民営化」となる。そこには福祉とか地方に必要とかの考察は無くなり「民営化に向かって視野狭窄に陥って、いかにして民営化をするか?」しか考えられなくなる。中間点とかが完全に吹っ飛んでしまい。「民=正義・官=悪」の二者択一の思考になるのである。
最近の風潮に「差別問題」というのがある。人種や性差、出身地などによってレッテルを貼るかのような事を全て「差別」と捉え「頭ごなしに、それ以上の考察をさせないようにする意見が出される」
勿論、それは「差別の抹殺にとってはプラス」となる意見かもしれない。議論の俎上に上がってしまうと収集が付かなくなる事も多い。
Kは前に「ジェンダーフリー教育について」考察した事がある。
http://ea.uuhp.com/~mr-k/cgi-bin/patio.cgi?mode=view&no=19
Kの意見が正しいとは言い切れないが、日本の出生率は大幅に低下している。
ニートとかフリーターといった事も社会問題化している。
集団自殺なども多くなっているし、自分本位の凶悪犯罪も増加傾向と思われる。
これらは「過去の差別の反動が大目に出ていたり(過度の権利意識)」
「自殺も含め全て自由という思想(過度の自由主義)」
人には就労義務というものがある。適材適所という事を考えれば、個体的な例外はあるが肉体労働には女性より男性の方が適しているだろう。
個人主義も良いが、社会という集団を維持していくという見地に立って考察したならば役割分担という事が入ってくる。仕事に貴賓の差は無いはずだが、人間は感情の動物でもあるので「仕事に貴賓という概念は生まれてしまう側面もある」
個体的な面に目を移しても、出身地の特性などによってある程度の性格や行動パターンは生まれる。日本で生まれ育った者が「英語を流暢に喋れる」とすれば、それがレアケースであって、米国企業に採用と言う面を考察すれば「普通は不利」である。
そう言った差別的な側面はどこにでも少なからず存在し、本当の意味での平等など「理想の中」にしか無いのだろうと思う。
ただし、努力は必要である。
しかし、その努力というのは意見を封殺することでは無いとも思う。
いずれにしても「差別発言に抵触することによって、まともな主張が発言できない風潮があるならば」そこは考えていかなければいけないだろう。
人間には特性と得手不得手があって当然である。そこに触れなければならない問題提起もある。
その発言のしにくさ(個人の権利保護)によって「人類(社会・日本国)が破滅」に向かってしまうならば、本末転倒である。
公共・公益というものを今一度考察しなければいけない。