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少し、彼方此方で郵政民営化賛成論に触れてきました。とくにYahoo掲示板で思ったのですが、Kは少し思い違いをしていたのかもしれません。
Kは「郵政民営化賛成論者」を以下のように分類していました。
1 政治家が「民営化」の方向に進んでいるので、多分、そちらが正しいのだろう。と思考停止状態で賛成する人(思考停止型)
2 公務員が嫌いなので、ともかく、公務員が苦しむ方向には賛成という人、もしくは、自分が非常に苦労しているので、ともかく「他人も同じように苦労する事」を望んでいる人(他人の不幸は我が身の幸せ型)
3 自分の企業とか、自分の環境に取って、郵政公社は競合関係にあるとか、自分に取っては郵政公社がない方が有利な人(利益競合型)
4 市民生活にデフレ閉塞感を感じていて、ともかく、何か、大きな変化を求め、それによって事態の打開を期待する人(希望的観測型)
基本的には以上の4つの型のどれかに当てはまる人が、国民の利益より、自分の主観の満足度を優先する思考をして、郵政民営化に賛成しているのだと思っていました。
ところが、どうも、それだけではないようなのです。
Kは今までは「詭弁的な国民サービスの向上の様な、郵政コンビニ化構想」などを読み
その結果、政府は「説明責任を果たそうとしないのではなく、説明責任を果たす事ができないのだ。(理由がないから、できない)」と思っていたのです。
要は、小泉首相が「本丸と位置づけ、悲願として推進したい」から、国民を誤魔化してでも「無理に郵政民営化に方向性を目指しているだけで」「推進者にも明確な理由付けなど困難だし納得もしていない」のだが、小泉人気と公明党を敵に回すと「次期選挙の時、落選するので保身に走っている」と思っていた訳です。
ところが、色々な主張を読んでいる内に「どうも、かなり現状認識が確かで、理性的な判断をした結果、やはり郵政民営化に賛成」という人がいる事に最近気が付きました。
行政改革は「多少の犠牲を払ってでもやらなければならない。そうしなければ、今後日本は国際社会で生き残っていけない」と「確信的に、地方切り捨て、弱者切り捨て」を割り切っている人達です。
勿論、「貧乏人は死んでも良い」とか「地方に住む人は、住む事自体が悪い」とは主張できませんから、「郵政公社の問題点を重箱の隅を突っつく様な理由」で賛成論を主張していたりするのですが、要は、郵政とそこで働く労働者や郵政に依存して生活している地方の人などを「生け贄にして日本の明日を築こう」としているのです。
そう考えると、今までの行財政改革が中途半端でむしろ改悪になっていても、かまわない訳です。財投を全面的に見直し、特別行政法人が独立行政法人になった時に「国はチャンスを与えたと同時に、責任の委譲」をしたのです。
そこで、意識改革と効率化などによる努力に取り組まなかったとしたら、それは自業自得です。「郵政民営化」によって資金がストップした時に「こんなはずでは」と気が付いても手遅れです。後は首つり自殺でもして下さい。と言う事でしょう。
地方自治体も同様です。大抵の地方自治体は郵政公社から長期の融資を受けています。
市町村合併とかで、既に警告はされた訳です。
その警告に気が付かなかったのは「その自治体の勝手」です。郵政が資金を引き揚げる時の対策をしなかったのは自己責任でしょう。
そんな自治体に住んでいる人は、住んでいた事が不幸なのですから、切り捨てるしかありません。
勿論、国に資金があるならば、そこに救援の手は差し伸べたいのですが、増税には強い抵抗をされるし、ほとんど利用も見込まれないような赤字道路は引けと騒ぐし、どうにもならないのが実際の所です。涙を飲んで見捨てるしかない訳です。
これは、病気で両足を切断しなければ、生命に関わるような患者さんと思うと分かりやすいかもしれませんが、大抵の医師ならば「生命を救うために決断し、両足を切断するでしょう。」
それと、同じなのです。地方・貧乏人・思考停止者といった「国に依存して生活している人」とか「国に寄生しているような人」はこれからの日本の発展に「百害あって一利無し」なので、死んで貰ってもかまわない訳です。
今まで、各個撃破で抵抗勢力を分断し、勢力を弱めて来た訳です。それは、郵政民営化という総仕上げをする前段階だったので、多少の事には目を瞑って「最大限の譲歩」をしてきた訳です。こまごまとした失点などどうでも良かったのです。
最後にそれらの失点をすべて帳消しにできる本丸があり、その際の抵抗勢力が減ってくれれば良かった訳です。
事によると、Kは憑かれていたのかもしれません。
相手はKの考察の百倍上の考察をしていたのかもしれません。
日本において弱者のホロコーストが計画されていたのでしょうか?
ドイツでは、ユダヤ人の前に浮浪者などの清掃がなされたと言います。
権力者から見ると、自分の主観において「見苦しい者」は人ではなく、排除すべき対象=単なるゴミと見えるのです。
そこを切り捨てたのちに、世界を相手に経済戦争を本格化するのでしょう。