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(回答先: ≒飯田文彦先生の著書の主旨と全く同一ですね 投稿者 Carry That Weight 日時 2005 年 4 月 26 日 22:30:09)
Carry that Weightさん、お久しぶりです。
横レスにて失礼します。
最近の心理学分野の書籍にはあまり触れることがなく、飯田文彦(史彦?)氏を存じ上げませんでした。私も氏の著書にあたってみようと考えていますが、先ずはCarry that Weightさんの書評などお聞かせいただければ幸甚に思います。
池見酉次郎先生がご健在の頃でしたが、日本ホリスティック医学協会主催のフォーラムにはよく出かけたものでした。池見先生の医学者らしくない、文学的な観察眼の魅力に惹かれフォーラムでの講演をいつも楽しみにしていました。そして、何よりも、今にも人々と共に精神の高みへとすっとんでいくような情熱と、しかしながらしっかりと地に足がついている思考の在り方、すなわち人間の神秘主義への志向を許容しつつも、自身は地球的思惟に留まろうとする弁別意識を崇敬もしていました。
私は“生”それ自体には本来的(既定的)には意味(もしくは意義)がないと捉えています。もちろん、V.フランクルが叙述したように状況の中において人間が見い出し得る、確信のようなものはあるかも知れません。しかし、それが普遍的な意味内容を有するものかは疑ってかからねばならぬと考えています。畢竟、意味や意義は良かれ悪しかれ人間が創り出すものでありましょう。今回風のようにさんが提起されたことの主旨にはこの意味創造に向かうときの心持や覚悟にたいする問いが包蔵されていると想われるのです。
Carry that Weightさんとの交信が途絶えて少し時間が経過し、心配しておりました。また、遺憾ながらどこかでレスを見落していることも考えられますが、その場合はご無礼をご容赦願いたく存じます。
また、会いましょう。