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風のようにさん、初めまして。
Kさんとのやりとり楽しく拝見させていただきました。Kさんごめんなさい!
「被害者意識からの脱却」という「提案」を私なりに考えてみました。
Kさんは、風のようにさんの提案を、いわゆる「プラス思考」による自己意識の
変革によって現状を打破しようとする、底の浅い論議だと思われたようです。実際、
現場ではこの手の意識改革論が花盛りですから。
《実際の現場は、意識改革などでどうにかなるものではない。制度的に何とかしなければどうに
もならないギリギリの状態で多くの人は働いているのだ。よしんば、意識改革で、主体として動
き、失業したら実際どうなるのか?何とかなるほどの現実ではないんだ。職を探し、より劣悪な
環境で、より意にそぐわない仕事にありつけるのが関の山ではないのか。それは「恐怖感」で
す、と言われたところで、この恐怖感こそ現実ではないか。そんな現実を制度的に、必要なら政
治的に変革していく方向を考えるべきなのにそれを「意識」の問題ですりかえようなんて欺瞞じ
ゃないの?》これがKさんの結論だったように思いました。
風のようにさん、あなたが仰られている「被害者意識の脱却」は、それとは違うように感じて
います。しかし、Kさんが語られる「現実」が持っている(あるいは持っていると思わされる)
「恐怖感」これもまた多くの人に共通するものではないでしょうか。風のようにさんが、生まれ
ついてから「被害者意識」を脱却されていたわけではないとすれば、その脱却を獲得されるまで
の過程で、何かしら内的感情の変化があったのだろうと思います。風のようにさんは「被害者意
識」をどのようにして脱却されたのか、「恐怖感」をどのように脱却されたのか、そのあたりの
過程を説明していただければ、あなたがされたご提案もよりわかりやすくなるのではないかと私
は思います。少なくとも私はぜひお聞きしたいと思います。「被害者意識」の脱却から、あなた
の仰る「個人主義」(これも従来の意味合いとは違っていると思いました)へ転換することが
「生きること」「食べること」の感覚を劇的に変化させるのだとしたらなお更です!その時の
あなたの感覚の変化を、どうか差し支えない範囲で、具体的に教えてください。
あなたが最初に提案された「価値観を離れる」ことは、私にはよくわかりませんでした。
一切の「価値観」を捨て去ってしまえば、後に残るのは無味乾燥な事物でしかないのではないか
と思ってしまいます。もちろん「価値観」を捨て去るふりをすることはできるでしょう。しかし
実際にはありえないことだとしか思えません。
あなたが相対化されている「善と悪」「正と邪」においても、私はそこまで相対化できませ
ん。私はやはり何かしら絶対的な基準というもの(かなり漠然として、範囲の広いものだが)、
があるように感じています。私は、それを「天の理」と勝手に名づけています。それに沿って
生きれば「快適である」し「うまく」生きられる。ただなかなか見えてこないのが困りもので
すが。まあ、そんなものを信じられるのは「ご自由です」と仰られれば、それまでですがね。(笑)
広瀬隆さんの一連の著作から始まった私の「陰謀論」への旅は、ここへきて正直どうでも
よくなってしまいました。国際金融家、「彼ら」、イルミナティ、「学会」「朝鮮人」、メーソ
ン、etc・・・・。それらの陰謀はあるのかもしれないし、幻想なのかもしれない。どちらに
しても私が私であることに何の変化もありません。肝心なのは自分がどう生きたいか。それだ
けだからです。(情報の収集・分析に多大の労力を払い掲載されている方々には、すみません!
『雑談』ですから勘弁してください。)こんな思いでいましたので、あなたの投稿に興味を
覚え、もっと詳しく聞かせていただきたいと思いました。
風のようにさん、初めて投稿を拝見したのに、なぜか懐かしい人に逢えたような気分で思わず
投稿してしまいました。もちろん、ご説明をいただけるかどうかはあなたの自由ですから、
気が向いたらもっと話を聞かせてください。私も「自分のため」に投稿したのですから。(笑)
誤読、読解力のなさはご容赦ください!