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皆さんは、盲導犬で一番重要な特性を知っているでしょうか?
Kは前にラジオで盲導犬調教師の話を聞いたのですが、すこし意外でした。
一番重要なのは「怠け者(ぐうたら)」な性格なのだそうです。
盲導犬が仕事をするのは1日という単位ですと極短時間なのだそうです。
盲導犬の装備(ハーネス)を付けている間は「全知全霊を使って仕事をする」のですが、それ以外に時間は「大人しく寝てる」が大切なのだそうです。
しかし「犬は犬」です。なかなか人間の思ったようには育たないのだそうです。
さて、本題に入っていく事にしましょう。
「鎖の切れた犬」は大抵の場合、遊び疲れて空腹になるまで帰っては来ません。
それでも、普段の欲求不満が溜まりに溜まっていれば「どんな事になるか予断が許されない状況もありえます」、鎖の切れた犬の悪戯は「日頃の欲求不満の割合によって大きくなる」とKは定義しておきます。
これを「鎖の切れた犬の法則」としておきましょう。
昨日(4月18日)にラジオで「ドメスティック・バイオレンスの被害者の集会」が開催された事がニュースになっていました。
「日本人なら日本語でしゃべれよお」ともKは思いましたが、これはKが英語が苦手な為です。「ドメスティック・バイオレンス」というのは家庭内暴力との意味です。
最近は、昔ならば小説の中でしか起こらないような残酷な事件が実際に発生します。常識では考えられないような事件です。それは「仲間内」でも「家庭内」でも発生するのです。
これを「家族、組織崩壊の序説の現象」としておきます。(念のため書いておきますが、覚えても無駄です)
阿修羅でこんな事を書くと怒られそうですが、「911テロ」に限らず、常識外の事件が起こると、必ず陰謀説が浮上します。
何故でしょう?「その事件が、考察する人の常識を突き抜けてしまっている」という一面も考えられます。(まあ、主な要因は考察する人の「性格と思考方法」にあります)
問題は「一昔前の常識では考えられない事件」が平然と発生する。事実ですが、これが思考に混乱を生じさせて、「こんな事件はあり得ない」と「無い裏を無理に考察する」と言う事も考えなければいけません。
この事を「知恵者の思考停止の第3の定理」としておきます。
知恵者であればあるほど、常識的判断のできる人であればあるほど、「憑き物に憑かれる」という状況があります。「常識外の事が実際に起こったという事実の発生」です。
人間なんて「アナログ思考であり、野獣なのです。」
そこが、「デジタル思考」の人や「合理主義思考」には解きにくい状況を作り出します。
「自分ならば、そんな馬鹿な事はしない。発覚するのが当然じゃないか」
「すこし、頭のある奴なら、こんな割合の低い賭には走らない」
「これは、あまりに非合理すぎる。普通の人ならばしない犯罪である」
そんな先入観が事件を見誤らせ「裏に陰謀があるとしか思えない」という「事件の事実の否定」に考察の方向を向ける事になります。
さて、最近は馬鹿が「机上の空論」と「徹底的な合理的判断」で法律を作ります。
その法律は「人間が野生動物」とか「感情の生き物」という面には全く配意しない冷徹無比な「二元論」の選択(デジタル思考)によって作られる訳です。
これを「デジタル馬鹿(視野狭窄者)の多角的考察の排除の原則」としましょう。
結果は、世の中は「欲望」とか「本能」という人間が有する感情を抑圧し、切り捨てる方向に社会全体が進む事になります。
これは「鎖に繋がれた犬」が放置されて欲求不満が蓄積された状況になる訳です。
良く「ガス抜き」という表現が使われますが、蓄積された欲求不満は無限の増殖をするので危険なのです。
しかし、現在の社会は「ガス抜きを許さない社会を馬鹿の作った法律で実現」させました。
国によっては「全国禁煙」とかもありますし「地域全体が禁煙」というようなデジタル思考そのものの様な法律も成立してきました。
その内、「お酒も全面的に駄目」とか、結婚している男性は「配偶者以外の女性と必要以外の会話をしたら全てセクハラ」になる可能性すらあります。
デジタル思考の馬鹿は他人を血のかよった人間とは考えないで、「疲れないロボット」として扱おうとしているのです。
個々の法律とか規定は「合理的に判断すると穴が無い」ので反論できません。
最後の手段とすると「権威主義」とか「暴力的手段」に走る事になります。
しかし、そんな物に下手に走ったら「牢屋にぶち込まれます」
そこで、欲望・本能はギリギリまで抑圧され、増殖の中で「進化」する事になります。
「本能・欲望の進化論における第二の定理」です。
ガス抜きをしてもらえないガスは途轍もない事を為し遂げます。
進化しきれない場合「どうにも合理的な理由の見つけられない犯罪」として吹き出します。
進化した場合「知恵を仲間に引き入れて、常識を凌駕した知的残酷知的犯罪」となります。
いずれの時も理性は敗北しています。
回りから見れば「精神鑑定の必要性」を感じますが、普通の人の常識を凌駕しているだけで「当事者の欲望とか本能からすれば当然の帰結」でもある訳です。
で、最終章(結論)です。
日本の多くの人が持つ、欲求不満の想念の抑圧された蓄積は増殖に増殖を重ねて、どこかで噴出します。
それが、前人未踏の凶悪犯罪であるならば「それでも、まだ、マシ」なのでしょう。
進化した欲望・本能は知恵を味方に付け、付けられた鎖を断ち切り「大手を振って暴れ回りたいと考える」はずです。
抑圧された想念は「憲法をも変える程の物」でしょう。
結果として、日本は破滅への道筋を整える事になるはずです。
回避するには「デジタル思考の馬鹿」のここまで社会環境を悪化させた責任を追及し、キチンと責任を取らせた後に追放し、ガス抜きの許される環境への振り戻しが急務でしょう。
市民の厳しい目から死角になる場所に潜み、日本を非人間的な(生物としての人間が生きにくい)社会を作り出そうとしている「官僚・中間管理機構」を引きずり出して責任を追及する体制こそ重要だとKは主張します。