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(回答先: 【ワヤクチャさんへ】大いなる誤解ですので別スレを立てます 投稿者 Carry That Weight 日時 2005 年 7 月 14 日 10:39:20)
Carry That Weightさん、こんにちは。
スレ違いを否めませんが、Carry That Weightさん宛の私信に近いものですので、勝手ながらこちらにレスさせていただくことにしました。
大分遅くなりましたが、飯田史彦著『生きがいの創造U』に関する所感を寄せたいと思いますので、ご笑覧くださいませ。
尚、縄文ビトさんと考察者kさんには割り込みになりましたことをお詫びいたします。
以前Carry That Weightさんがご案内の通り、今著作で作者は自身の活動の原点及び沿革について語っています。中で、フィジカル・ケア、マインド・ケア、スピリチュアル・ケアという3つのディメンションによって活動領域の意味づけをされていますが、それは本業の経営学の学者たるコンセプチュアル・スキルに優れた明快な記述で活動の主旨がよく伝わってきました。
ところで、私個人は現状、スピリチュアル・ケアといった領域の存在そのものを等閑視しています。私の書架には200冊を超えるニューエイジ関連や精神世界に関する書物があります。それ等はおよそ85年頃から95年頃にかけて買い漁り読み漁ったものです。
私は人間がスピリチュアルな世界観や宇宙観に「降服」してしまうのはあり得ることだと捉えていますし、実際に「降服」した人達の躍動感に溢れたExpressionに接した経験は10度以上に達しています。しかし、90年頃にスタニスラフ・グロフ著『脳を越えて』と養老孟司著『唯脳論』に出会い、そうした現象は脳機能の一つの側面を表象するものに過ぎないと覚るに至り、所謂スピリチュアルな事物から暫し離れることにしたのです。それでも、トランスパーソナル心理学のカンファレンスには参加していました。
誰もが「降服」することによってスピリチュアルな展開をしていくことは可能ですし、それは単(ひとえ)に森羅万象の中(うち)に精神的な繋がりを認めその盟主に「降服」するか否かに係っていると想われます。けれども、それがスピリチュアル・ケアとして称揚され果たして人々のスピリチュアル・ヒーリングに寄与するものになるのか、私は疑念を禁じ得ません。この世では「降服」せざるを得ぬまでに差し迫った人達がいることも確かでしょう。蓋し「降服」は甘美さを漂わせてもいます。しかしながら、自身の内なるエネルギーを自覚できる間は、人は「降服」すべきではないと思うのです。
また、会いましょう。