★阿修羅♪ > 雑談専用13 > 1066.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 『軽率さ』と『錯覚』は了解しました。 投稿者 蘭心竹性 日時 2005 年 7 月 03 日 07:55:04)
>「闘争しない事」=「負け」についての意見くらいお出しになられてから評価すべきではないのですか?
◆「Re: 『軽率さ』と『錯覚』は了解しました」とのことですので、ODA ウォッチャーズの基本的なスタンスを理解頂けていること、恐縮です。そこで、上記について、付言します。
これは、本来、ODA ウォッチャーズが、関心の在るテーマでは無いです。ODA ウォッチャーズは、「ハード・パンチャー」さんの大仰な質問に、中味が無いことに、関心を持って、対応しました。昨今の「2ちゃんねる」や、その類の『場』で、非常に多用される、安易な「乗り・ノリ」だからです。これこそ、「アラシ」への発展の危険を読み取ります。
◆しかし、「意見くらいお出しになられ」とのことですが、
>社会的活動は、自分が全体社会と結びつき、全体社会が自分に纏わりついてくるので、必然的に、連帯と賛同を必要とする。
>何度も、議論され、一定の知識層では共有されていることだが、「言葉」自体が、「志向性」を持ち、発言者の意図を含み、社会的規範を強制しているのだ。
ハードパンチャー氏の立論に、『軽率さ』と『錯覚』が在る。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/1056.html
投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 7 月 03 日 02:58:49: ilU7eLmFtsv5I
と、一般論としては、在る程度、ODA ウォッチャーズの意見を推し量れる記述をしている。つまり、社会活動については、
自分の存在が、哲学用語での「世界」と抜き差しなら無い状態で、繋がっている、「アンガージュマン(実存主義の用語を使えば)」のであり、誰一人、傍観者とは、なりえない。特に、グローバル化した世界では、イラク戦争も、靖国も、個人の問題に跳ね返る問題となる。
自己と仲間、社会に『対する』脅威が差し迫っている場合に、それを認識している者は、未然に危険を取り除くことに、率先する勇気と知性を持つべきだ。また、知行一致は、アジアの精神文化だ。ノブレス・オブリッジの問題である。