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(回答先: Re: ハードパンチャー氏の立論に、『軽率さ』と『錯覚』が在る。 投稿者 パイプライン 日時 2005 年 7 月 03 日 03:09:19)
パイプラインさんの問いは、これまた、無教養です。
この掲示板の、いろんな所で、「認識」には多様性があること、いろんな立場があり、いろんな理解があることが、共通の認識になっています。元々、「ハード・パンチャー」さんの趣旨も、いろんな立場を認めることを骨格としているのでしょう。
>>「闘争をしないこと」=「負け」
>>ここの理由が全く理解できない。
>ここの言いたい言葉は十分理解できますが。
この部分ですが、ODA ウォッチャーズは、当然、「understanding, realizing」までは、しています。だから、応答しているのです。
しかし、「appreciating,admitting」は、出来ません。
立論が間違っている、と認識しているからです。
人間認識は、合理的に、主張者の合理的な説明の枠を客観的に認識して、その「是・否」を判断します。「ハード・パンチャー」氏の立論は、詭弁に類するものと判断していますので、その時点で、「appreciating,admitting」することは、不可能です。
もし、パイプラインさんが、「appreciating,admitting」の意味で、「理解」できるのであれば、「立論が間違ってない」と主張されるか、「その他の理解された認識の枠組み」を明確に示す必要が在るでしょう。
今回は、この程度のことも、日本社会では、混同することが多く見られるので、説明してみましたが、シンガポールやフィリピン、上海などの大学で、このような「無教養」な質問をされることは、私の経験では、皆無でした。