現在地 HOME > 雑談専用13 > 101.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nara/news/20050416ddlk29070550000c.html
大和路各駅停車・記者ぶらり散策:
近鉄宝山寺駅の巻 /奈良
◇日本一古いケーブルカーに断食療養所
◇24時間開放の山門、延々続く桜並木にリラックス
「宝山寺って、宝の山なのかな」。生駒山中腹にある有名な寺なのに、行く機会がなく、そんな冗談半分の気持ちで出かけてみた。
今月8日正午前、近鉄生駒駅の近くにある鳥居前駅からケーブルカーに乗った。時々「ズドーン」と床が突き上げるような振動。鳥居前駅−宝山寺駅間(0・9キロ)は1918(大正7)年開業で、日本で最も古いケーブルカーだ。
無人の駅から急な坂道の階段を上っていくと、両側を森と灯ろうが並ぶ厳粛な参道が見えた。宝山寺(生駒市門前町)の入り口だ。1678(延宝6)年に湛海(たんかい)が開いたお寺で、本堂にある本尊は、自らが作った木造不動明王像(重文)という。詳しいことを執事の酒井良和さん(58)に聞いた。
「本堂の脇にある聖天堂には、秘仏の大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)があります。首から上が象さんで、男と女が抱き合った像です」。通称聖天さまで、商売繁盛の神として有名なのだそうだ。恥ずかしい話、私は知らなかった。「午前2時から大聖歓喜天に油をかける法要(浴油)を住職1人で行います。信者からの願いを祈とうするのです」と酒井さん。「大変ですねえ」と言うと、「まさに夜勤ですよ」との返事。宝山寺では山門は開放したままで、24時間いつでも参拝出来る。夜間の明かりも絶やさない。
本堂の奥には多宝塔、観音堂、断崖絶壁にある弥勒菩薩坐像など、さまざまな信仰対象を備える。森の中の参道には約300のお地蔵さんが並ぶ。すべて信者が寄進したものだ。その途中にあったのが、子安地蔵尊立像。水子の霊をまつる。水をかけて亡くなった子どもを救うという。仏像は左手に子どもを1人乗せていた。ほかに2人の子どもが仏像の足元にすがっていた。
母は30年以上前に流産した。私(36歳)は長男で2歳違いの弟がいるが、もしかしたら3人兄弟だったのかも。仏像を見ていると何か親しみを覚えて、ろうそくに火を灯し、何度も水をかけた。普段は意識しないのに、私も信仰を持った気がした。
境内を出て、参道の下の方を見ると、桜並木が見えた。階段を降りても降りても、満開で見事な桜のトンネルが延々と続く。住所でいうと同市門前町と仲之町にまたがり、約600メートルもある。階段で座りこんで桜を眺めていたのは、近くに住む主婦、上田綾さん(31)と、だっこされた長女沙和ちゃん(1)。「子どもとよくお散歩に来ます。昨日から急に咲き始めたんですよ。ケーブルカーで上ってから、歩いて降りるんです。イヌやネコの顔の形をしたケーブルカーを子どもが好きだから」
ケーブルカーが生活に欠かせなかったのは「三橋神具店」の三橋貞夫さん(73)もだ。小、中、高校、大学、そして高校の先生としての通勤にケーブルカーを使った三橋さんが印象に残っているのは、太平洋戦争中、ケーブルカーの運転が中止された時だ。当時三橋さんは中学生で、現在の天理市に海軍が建設していた柳本飛行場の建設に動員されていた。「天びん棒で土を運んでました。ケーブルカーに乗れないので、夏場は家に帰るときは、暑い中、長い階段を登っていったのを覚えています」
急な階段や坂道を上り下りして「疲れたなあ」と思って何気なく見上げると、遠くにある山腹の建物の大きな看板が見えた。「断食静養院」。行ってみると昔の木造の小学校のような建物の入り口に「静養院断食療養所」の看板があった。寺井勝院長(48)が「うちは大正7(1918)年に創立された、日本最初の断食療養所です」と話してくれた。ケーブルカーと同い年だ。創立したのは祖父嵩雄さん。建物はその当時のままだ。「食べない、動かない、考えない、を基本にしています。食べ過ぎ、仕事し過ぎという『〜過ぎ』が体の調子を崩すのです」という。
外に出ると、青空の下、大和平原が一望に見渡せた。うららかな春の陽気の中、ウグイスの「ホーホケキョ」の声が聞こえてきた。リラックスに最適の環境。「私もここで1時間ぐらいぼーっとしていたいですね」と言ったら寺井院長は「どうですか、記者さんも一週間ぐらい入院してみては?」。おいしい物が食べられるのなら、そうしたいのだけど。
【大森顕浩】(毎週土曜掲載)
毎日新聞 2005年4月16日