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日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──第6章
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投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 10 日 01:25:33: tTp1/cyvuKUmU
 

(回答先: 日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──第5章 投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 10 日 01:14:11)

■■■第6章:GHQのニューディーラーの戦後処理計画──極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密


■■日本の戦後史はユダヤ人が演出した


真に不思議なことであるが、よく考えてみれば論理的に辻褄が合わないことでありながら、その論理的不整合が今まで全く研究されていない問題が日本に存するのではないか。

それは、日本共産党が占領当初、アメリカ占領軍を「解放者」であると規定したことである。野坂発言で有名なこの事実と、アメリカが資本主義国であったという事実を如何にして矛盾なく論理的に整合させることが可能なのか。これは戦後史研究上の最大の問題点であるはずなのに、この問題を解明しようという試みは未だなされていないようである。

私はここで率直にこれらの日本の戦後史を創ったのがユダヤ人であり、それが実に恥ずかしいほどの我々の無知に基因しているものであることを告白し、我々の「信じ難いほどの頭の悪さ」をお許しいただきたいのである。

 

 
日本人は、その戦後史の顕著な跛行性、経済面の驚異的な高度成長と精神衛生面の硬直化、停滞性、虚妄性に深く悩まされているのではないかと考える。戦前日本にあった世界に冠たる長所、美点はあとかたもなく消され、後に残ったものは欲の皮のつっぱり合い、金、金、金の拝金主義的傾向、国際的にはエコノミック・アニマルぶりのみではなかろうか。

現在までのところ確実にいえることは、日本人はいまだこの戦後史の180度転換の真の原因について盲目同然であるということである。

日本人は大変困難な二元論的思考を強いられているのではないだろうか。つまり、戦前のいいものを消したのが、民主主義といわれる戦後持ち込まれた制度ではないのかという疑問と、民主主義は一点も誤まることのない善玉の神であると盲信させられているところからくるディレンマである。

天皇制と民主主義が相容れないアンチテーゼであるということは、案外日本人は理解していないのではないかと思えてならない。日本では「民主主義」は全く聖域に祭り上げられているといってよかろう。戦後30年を経た今日でも、日本では「民主主義」を批判しようものなら、それこそ袋叩きに会うこと受け合いであろう。よしんば民主主義にケチをつけるとしても、それは民主主義の本質に対してではなく、それに対応する側の態度が問題にされる程度である。戦後史の謎を解く鍵はこのへんにあると思われる。

民主主義という言葉はギリシア時代にさかのぼるのを常識としているが、今日、日本は、いな世界中で云々されている「民主主義」というものは、実は我々ユダヤ人が創作したものである。

戦後の占領改革が始まるや否や、我々ユダヤ人(アメリカと考えていたのでは何もわからなくなることはこのあとで説明する)は、戦前の「天皇陛下万歳」に代わる言葉として「民主主義」「自由」「平等」を日本人の頭に植えつけることに成功したのであった。

 

■■「民主主義」は戦後における絶対の善玉


かくて「民主主義」は絶対の善玉の神として聖域に安置されることになった。しかし、この「民主主義」には奇妙なことがある。例えば、イデオロギー的に絶対に相容れることのないはずの自民党と共産党とが各々この「民主主義」の守護神を買って出ていることである。本来これはおかしいのであるが、絶対の善玉を自己の看板にしない手はないということか。

ここで考えられることは「民主主義」とは何ら実体を伴わない虚構概念ではなかろうかということである。具体的概念であれば、双方のイデオロギーに奉仕することはありえないのではなかろうか。そのように考えてくると、もう一つ面白い事実を発見する。それは「民主主義」の精神的支柱である「日本国憲法」の中には、「民主主義」という語句が全く発見できないということである。この憲法を形容する時は必ず「民主主義」「民主的」といった言葉で飾られているではないか。このように考えてくると「民主主義」とは何ら実体のない虚構概念かまたは他の虚構論理の目かくし役でも与えられているものなのではなかろうかという疑問が生ずる。いずれにせよ、この奇妙な「民主主義」の本質は是非とも明らかにされなければならないだろう。

次に解明されなければならないのは、この民主主義の絶対の擁護者を自任するマルクス主義の本質であろう。マルクス主義即革命という単純なものではない。マルクス主義の弊害は空想的な革命運動にあるのではなく、戦後の病巣との関係においてこそ見出されるものである。

私は、これら民主主義とマルクス主義がいずれもユダヤ的思考の所産であることを告白し、その虚構性と源流を白日の下にさらし、同時に、我々が第二次大戦終結時の日本人の精神的虚脱状態にあった時をとらえ、巧妙に日本人の頭脳、意識の中へインプリントしてしまった過程を明かし、また、それが我々ユダヤ人の浅はかな錯覚によって引きおこされたものであることをご説明させて頂き、お許しをねがいたいと思うのである。

 

さてここでも、日本共産党にご登場願わねばならない。これは我々の罪ほろぼしの一環でもある。何故なら、日本共産党は我々のエピゴーネン(亜流、継承者)であるから。

アメリカの占領改革とは一体どんな本質をもったものなのか。今日の病理のルーツはこの占領改革にあると考えられる。しからば、この占領改革の本質を解明すれば、自ずとその治療法も発見できるのではないだろうか。

さてそのためには、是非とも一つの大前提が必要となる。それは日本共産党を信用するということである。日本共産党の何を信用するのか。それは、マルクス主義への絶対視ということについてである。しからばここで解明されるべき結論は、あのアメリカの占領改革がマルクス主義に基づくものであり、あの改革を行なったニューディーラーがマルクス主義を頂くグループであるか否かを解明すればいいことになる。

ニューディーラーがマルクス主義を頂くグループであったということは、彼らがすべてユダヤ人から成っていたという事実からもいえる。別章で説明した如く、マルクス主義はユダヤ民族解放のための虚構ハイポセシスなのであるから、これらユダヤ人グループがマルクス主義を駆使するのは当然すぎるほど当然なのである。

日本共産党は戦後間もなく、アメリカ占領軍を解放者と規定し双手を挙げてこれを歓迎した。このことは後にコミンフォルムにより激しく批判されることになったことは、ご存知の通りである。その後、アメリカでマッカーシズムの嵐が吹き荒れる頃、日本でもレッドパージが起こった。この頃より日本共産党はアメリカを「帝国主義者」と呼びはじめ今日に至っている。

 

■■日本共産党の教えてくれる“2つのアメリカ”


ここに、2つのアメリカが存することになる。つまり、今日共産党が規定している「帝国主義」のアメリカと、終戦直後日本共産党が規定した「解放者としてのアメリカ」──これの意味するところは非資本主義的アメリカということである。現実に社会主義化は行なわなかったが、数々の左傾化政策等を行ないその後遺症は今日に至っている。

これは絶対に相容れない対立物であるはずである。日本で議論される単に「アメリカの占領改革」といったことでは、その本質を見抜くことは不可能であるということになる。

 

 

このことをもう一つ別の角度から考えてみよう。

戦後数年して、アメリカでマッカーシズムといわれる嵐が吹き荒れた。普通「赤狩り」といわれるものである。この時「非米活動調査委員会」というものがつくられた。この非米活動というのは内政、外交両面におけるアメリカの国益に反する政治活動という意味であり、戦時中日本でいわれていた「国賊」「非国民」の類いとは根本的に違うものである。

 

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ジョセフ・マッカーシー上院議員。マッカーシズムといわれる嵐を巻き起こした。マッカーシズムとは、1948年頃から1950年代半ばのアメリカで起きた激しい反共産主義運動のことである。

 

この非米活動というのは具体的にはルーズベルト政府、即ちニューディール派を指すものである。内政においては資本主義国アメリカで明らかに共産主義政策と考えられるような極左政策を行ない、外交、軍事面ではアメリカに何ら利害関係のない対独戦に強引に引きずり込むという過激な政策を行なったニューディール派は、戦後処理においてもヤルタ条約によりソ連を極端に利し、対中国政策でも失敗し、中国大陸を完全に失うことになった。また対日戦後処理においてもこれから問題にする如く極左政策を実行し、日本資本主義の基礎を崩さんばかりの変革を行なった。

これらは資本主義国アメリカの国益に合致するものとは決していえないものである。アングロサクソン系を中心とするアメリカの支配層は、長い間のユダヤ支配から脱出するため遂に立ち上がったのである。これがマッカーシズムの本質である。いわばアングロサクソン革命である。ここでいうところの「赤狩り」とは「ユダヤ狩り」に他ならない。これにより、ニューディール派は完全に息の根をとめられ、以後「名存実亡」となるのである。

以上の点からみても、ユダヤのアメリカとアングロサクソンのアメリカと2つあったといえよう。

ユダヤ系のアメリカというものがアメリカの真の国益に関係なく行動するものであったことは疑いのない事実であった。


〈中略〉

 

■■ニューディーラーの操り人形だったマッカーサー


典型的な軍人といわれたマッカーサーも、現実にはこのニューディーラーに組みしていた。

 

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ダグラス・マッカーサー。1945年8月30日から約5年半、GHQの最高司令官として日本占領に当たった。

 

軍人であるマッカーサーは、政治には弱かった。当時東京のGHQへ送られる諸々の指令は、トルーマン大統領以下閣僚の全く関知しないうちに国務省の秘密グループから発せられていた。政府中枢がもう少し気を配っていたら、このようなことにはならなかったと思われる。

この国務省の覆面グループと呼ばれる秘密組織は、つまるところニューディーラーの残党に他ならなかった。トップの目をかすめて送られてくるこれらのニューディーラーの残滓の指令を逐一実行に移していたのが、無知な軍人マッカーサーであった。

有名なFEC(極東委員会)230号といわれるニューディーラーから送られた指令は、財閥の解体から始まって独占資本を日本共産党の息のかかった労組などに二足三文で払下げることや、革命行為があっても見て見ぬふりをしろといったロシア革命もどきの極左政策を命令していた。何も分らないマッカーサーは、そのような下部の一部グループから送られた指令を忠実に実行していたのであった。

直接手足となってこれを推進したのは「GS」といわれる民政局のホイットニーや、憲法の作者であるチャールズ・ケーディスであった。

 

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チャールズ・ケーディス(ユダヤ人)。GHQ民政局次長で、日本国憲法草案作りの実務責任者だった。

 

それに対して「G2」といわれるマーカット、ウイロビーのグループは、懸命にこれらニューディーラーの暴走を阻止しようとした。また民間人では、例のグラマン事件で有名になった当時『ニューズウィーク』誌の外報部長であったハリー・カーンも極左化阻止に力を尽くした。


〈中略〉


ここでお気づきのことと思うが、ルーズベルト政府、つまりニューディーラーの日本に対する態度とドイツに対する態度は根本的に相違しているということである。ドイツに対してはユダヤ人の権利に制限を加えたことなどから民族的な憎悪を露骨に現わしているが、日本に対してはそのような感情的なものは見当たらない。

我々ユダヤ人は、第二次大戦においてはドイツは我々に対する加害者であると考えているが、日本に対しては我々こそ加害者であり日本は被害者ではないかと考えているのである。 〈中略〉

そのようなことから、戦後処理については日本に対しては民族的敵意をもった政策は最初から考えていなかったのである。むしろ日本人をより自由に、より平等にしてあげたいと考えたのである。我々の苦しい経験からして、日本人にもより自由な生活をしてもらいたいと真に短絡な考え方で戦後改革を行なうことになるのである。

しかしそれが大変な誤りであることに我々が気づくのは、戦後改革の悪弊が出てしまってからであった。

 

■■ニューディーラーの本質


日本でも、日本の戦後改革を行なったのがニューディーラーであるということはかなり知られているようである。しかし私の見るところでは、しからばニューディーラーとは一体何か、ニューディーラーの本質となると、その認識ははなはだ心もとないものではないだろうか。

ニューディーラー認識の第一歩は、彼らがユダヤ人のグループであるということを知ることであろう。しからば、自ずとその政策のはしばしに現われてくるユダヤ的思考の所産を発見できよう。

そうであれば、このグループの政策が自ずと共産主義であることが簡単に理解されよう。事実、マッカーシーの「赤狩り」というのはこのニューディーラーの残滓を一掃することだった。マッカーシズムが吹き荒れた時、日本人はアメリカにも「赤」がいるのかと不思議がっていたが、この赤とはニューディーラーのことに他ならない。

ニューディーラーの頭目は、いわずと知れたフランクリン・デラノ・ルーズベルトである。アメリカ人の90%は今でもルーズベルトがユダヤ人であったことを知らないようである。しかし、彼はレッキとしたユダヤ人だったのだ。

 

フランクリン・デラノ・ルーズベルト、良きにつけ悪しきにつけ、日本人には因縁深い名前である。1933年、奇しくもヒトラーが政権をとったその年にアメリカ大統領に当選し、1945年、第二次大戦終結の年に死去するまで、文字通り独裁者としてアメリカに君臨した人物である。

このルーズベルトを語る場合、先ず真っ先きに留意すべきことは、このルーズベルトという名前が今日のアメリカでは半ばタブーとなっている事実である。この点は日本ではあまり気づかれていないのではないか。さらに、全米600万のユダヤ系市民の間では完全なタブーであるということである。この事実は全くといっていいぐらい知られていないようである。もともとユダヤ問題など殆ど関心のない日本人である。それもむしろ当然かも知れない。

 

■■ルーズベルトはユダヤ人である


何をさて置いてもハッキリしておかなければならないことは、彼がユダヤ人であるということである。ルーズベルトは、正真正銘のユダヤ人である。このようなユダヤ人を「諜者」 agent といっている。マルクスも改宗後はこの諜者である。

この諜者というのは、ユダヤ民族の遠大な計画のため表面上は改宗したことにし、したがってルーズベルトの常に口にする如くクリスチャンになるわけである。しかし本質的には、従前以上の強固なユダヤ教徒になるのを常とした。

陸軍中野学校の卒業生が戸籍上死亡したことにして特殊な任務についたのと似ている。ルーズベルトの家系は後述する如くユダヤ系であった。このような名門のユダヤ家系の中から改宗者が出た場合は、諜者となる場合が多い。

 

■■ルーズベルトの家系


ルーズベルトの家系のルーツを調べてみると、祖先は17世紀の末葉、オランダにいたユダヤ人 Claes Martenzan van Rosenvelt である。このローゼンフェルト家の先祖は異教徒審問中、スペインから亡命したユダヤ人の一群に属し、ローゼンカンポと称されていた。その後この一群のユダヤ家は欧州各地に分散している。彼らは、 Rosenberg、Rosenbaum、Rosenbarium、Rosevelt、Rosenbergなどと名乗った。

この中のヤコブス・ローズベルトがオランダに定住し、この一家のみが諜者となるためプロテスタントに改宗したといわれる。この一家は1649年、オランダから当時ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住している。1682年にクラエス・マルテンザン・ローズベルトはジャネツェ・サミュエルズと結婚している。戦後、布商を営んでいた。

また、1935年3月14日の『ニューヨーク・タイムズ』紙上で『デトロイト・ジューイッシュ・クロニクル』紙に掲載されたルーズベルトの書翰を転載しているが、この書翰によると、「自分の先祖は多分ユダヤ家であろう」と記しているという。



ルーズベルトが全米のユダヤ系市民からモーセの再来として信仰に近い尊敬を集めていたことは、よく知られている。

ルーズベルトは1933年大統領に当選するや否や、次に述べるごとく在米ユダヤ系市民から信じられないほどの喜びで迎えられ、また崇拝されているのである。実はよく考えてみると、これはなんとも奇妙な話なのである。何故なら、ルーズベルトは選挙公約でユダヤ系市民の利益になるようなことは何一つ公約していないのである。また、ルーズベルトが今後ユダヤ系市民にどのような政策を行なうかも全く予測などできないはずなのである。しかるに何故に、以下述べる如く祝わなければならないのだろうか。もしルーズベルトがユダヤ人でないとするならば……。

ルーズベルトが当選すると、彼の生みの母ゼームス・ルーズベルト夫人がジューイッシュメタルを贈られ、ニューヨークユダヤ協会の名誉会員に推薦され、その祝賀式典の式上で、ニューヨーク市長ラガーディア(ユダヤ人)は、全ニューヨークユダヤ人の名において金牌を贈与したのである。これに対して母親は金一封を謝礼として贈っている。

さらに、シオン組合の前会長ルイス・リプスキーは同夫人はアメリカの躍々たる勇敢なる指導者を生んだとの讃辞を呈し、マイロン・ザルツバーガーは「夫人は単に米国の母として偉大なるのみならず、世界の母として偉大となられることを希望する」と述べている。

これに加うるに、メタルの鋳造がある。1933年3月4日に大々的に売り出されたこのメタルは表面にルーズベルトを演出し、裏面にダビデの星がきざまれているものである。

ルーズベルトの当選を待ちかねたように、せきを切ったごとくこのようなルーズベルト絶賛がユダヤ系市民から起こったのははたして偶然であろうか。



ルーズベルトを囲繞するブレーントラストがすべてユダヤ人でありその大部分が同時にマルクス主義者であったことは、日本でもよく知られていることである。

大部分はプライベートなブレーンであるが、見逃せないのは、国務、財務、労働の3つの重要な長官がルーズベルトのグループだったということである。

国務長官のコーデル・ハルはユダヤ人ではないが、妻君がクーン・ローブ商会のユダヤ人ヤコブ・シフの親類の出身である。

開戦後交換船で帰国した栗栖大使が語ったように、ハルは圧力のため思うように政策がすすめられなかったのであった。野村大使ではとてもそんなハルの本音は聞き出せないだろうが、栗栖大使の腕はさすがである。結局、ハルはがっちりルーズベルトに、いいかえればニューディーラーに組み入れられていたのであった。

 

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アメリカ国務長官を務めたコーデル・ハル。有名な『ハル・ノート』を日本政府に突き付け、日本政府を挑発した。1945年に「ノーベル平和賞」を受賞。

 

次の財務長官ヘンリー・モーゲンソーはユダヤ人である。戦後処理をめぐって対独強硬案を出した如く最もユダヤ的なユダヤ人であった。このモーゲンソーは、ルーズベルトの史上最大の赤字作りに最も貢献するわけである。

 

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アメリカ財務長官を務めたヘンリー・モーゲンソー(ユダヤ人)。戦後、「全米ユダヤ人組織連合」の名誉会長を務め、イスラエル援助機関を指導した。

 

もう一人の労働長官はフランシス・パーキンス女史である。彼女は、労働者に団結権を与え、階級闘争を激化させる要因をつくるのに貢献するのである。ロシア系ユダヤ人である。

 

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アメリカ労働長官を務めたフランシス・パーキンス(ユダヤ人)。アメリカ史上初の女性閣僚である。

 

これらの指導者がユダヤ人であるということは別章で述べた如くであり、共産主義を自己解放のための手段、道具として活用しようと考えるのは何ら不思議ではないはずである。なんの臆面もなく資本主義国アメリカで共産主義化政策を追求していたわけである。

これら3人のほかに、私的ブレーンが数多く存在したことは有名である。

 

■■ルーズベルトを囲繞するユダヤ人共産主義者群


ルーズベルトの取り巻き連の中で特に顕著なことは、俗流ラジカルといわれるユダヤ人マルクス主義者群である。

その代表格が、ウィーン生まれのフェリックス・フランクフルターである。彼は1882年ウィーンに生まれ、12歳の時渡米しており、1906年、ハーバード大学で法学士号をとり政界入りし、検事総長特別補佐、陸軍省法律顧問等を経て1920年最高裁判事に任命されるまで、ハーバード大学教授であった。

 

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フェリックス・フランクフルター。ユダヤ人法学者で、合衆国最高裁判事を務める。

 

一見、自由主義者の如き経歴であるが、実は彼は大学で盛んに革命思想を吹き込んでいたのである。特に、ユダヤ人学生を卒業後政府内の枢要な地位に推薦することに努力していた。

彼が最高裁判事に任命されるとルーズベルトの許へ多くの国民から抗議が寄せられたのであるが、ルーズベルトはそれらを握りつぶしたのである。当時、9名の最高裁判事の中の2人までをユダヤ人に占めさせたことは、重大な意義があったのである。

もう一人の最高裁判事ルイス・ブランダイスも、ルーズベルトの私的アドバイザーである。彼は「全世界シオン賢人会」の会員であった。日本国憲法の事実上の草案作製者で、現在ニューヨークで弁護士をしているケーディスは、これら2人のユダヤ系法曹人の弟子である。

 

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ルイス・ブランダイス。ユダヤ人として初めて最高裁判事に選任された。

 

バーナード・バルークについては説明の要もないほど有名であるが、兵器産業界の大立物であり、第一次大戦にアメリカが参戦したのもこのバルークの力が真に大きいのである。当時は、バルークの許可なしには工場一つ建てられなかったといわれる。第二次大戦中は、原爆の製造に尽力した。

彼は「米国のディズレイリ(英国のユダヤ人首相)」と呼ばれており、アメリカのユダヤ人では最大の権力者といえよう。

 

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ユダヤ人大富豪バーナード・バルーク。歴代のアメリカ大統領の顧問を務め、第二次世界大戦中は、原爆の製造に尽力した。

 

バルークは、第一次大戦中は、1917年、アメリカの参戦後間もなく軍需工業院総裁になり、全産業無制限的統括権を振るうことになった。軍需工場のすべてを掌握していたこのバルークは、A・A・ハウスマン銀行の共同経営者になり、1900年、同銀行と手を切って、ウォール街の株式取引所の有力な地位につき、一方では、自己資金で株式売買や株式市場の不正操縦により暴利を稼いでいた。ウィルソン時代には、真の大統領はこのバルークではないかといわれたものである。

バルークは第一次大戦の煽動に続いて、なんとかアメリカを対独戦へ引きずり込もうと狂奔したのであって、彼の場合、単にドイツのユダヤ人救出だけでなく、戦争による膨大な金権支配力を得ようとしていたのである。「死の商人」とは、彼のためにつくられた言葉かも。

第一次大戦後、上院の一委員会が大戦の前史的事態について調査し、バルークを喚問した際、彼は上院議員J・ハリスの質問に答えて次の如く公言してはばからなかった。

「最後の決定権は自分にあったので──つまり陸軍と海軍とが所要の軍需品を供給されるか否かは自分次第──鉄道が果たして莫大な輸送に耐えうるか否か、連合国が所要の機関車を米国で手に入れることができるか、それとも、ロシアかフランスで製造させる以外に手がないか否か──それらはすべて自分次第で決まるのだ」。同時にまた、「大戦中、自分以上の権限をもった奴がいたかどうか聞くのは愚である」とも。

彼は1938年、南米からの帰途、ドイツはアメリカ侵略を目論んでいる、ドイツ軍のアメリカ侵略は近いとして、対独戦参加の伏線をしいていた。



レックス・ジー・ダグウェルはコロンビア大学教授であり、マルクス主義経済学者として知られ、ソ連とも近い人物であった。レーモンド・モーレーはコロンビア大学教授であり、ブレーントラストの表面的首魁である。

1933年5月2日、下院議員ハミルトン・フィッシュはルーズベルトのブレーントラスト群の中のレーモンド・モーレー、ダグウェル、モルデカイ・エゼキル、ウィリアム・ブリットの相互連絡について発表している。

ダグウェルは、社会主義者スチュアート・チェーズと共産主義者ロバート・ダンと協力して『第2回10年計画下のソ連』を出版したことがあり、これら3人の学者は密接な関係を保っていたのである。ダグウェルの親友である社会主義者のスチュアート・チェーズは『ニュー・ディール』の著者であり、アメリカのソ連化を企図していたのであった。

 

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スチュアート・チェーズ(ユダヤ人)。『ニュー・ディール』の著者。

 

ダグウェルは、かつて社会主義者の仲間として訓練されたことがあり、コロンビア大学経済学教授として、また社会党の機関誌「新共和」の寄稿家として活躍していたのである。

彼は共産主義化の方向へ進めることに全力をあげており、米国民もロシア人も両者間に性格の相違点は見出せず、したがって米国でもロシア同様の革命が可能であるという意見をもっていた。これすなわちユダヤ革命のことであり、共産主義云々というのは所詮建前論であり、カモフラージュにすぎない。

次の問題人物はレーモンド・モーレーである。コロンビア大学に講座をもっており、常にルーズベルトの腰巾着であった。

 

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1933年5月8日号の『TIME』の表紙を飾ったユダヤ人学者、レーモンド・モーレー教授

 

農務長官顧問モルデカイ・エゼキルは、ダグウェルの影武者として農業問題についてはユダヤの計画の代表者であり、米国の農業計画はユダヤの利益のために進められていたのである。戦後日本で農地改革をしたラデジンスキーはポーランド系ユダヤ人であり、彼の弟子で、当時農務省にいたのであった。

国務長官補佐となったウィリアム・ブリットについては別に述べるが、彼はまたレーモンド・モーレーの親友であり共産主義者リンカン・ステフェンズの親友でもあり、長らくソ連にありレーニン、チチェリン、リトヴィノフと交渉していた。

 

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初代駐ソ大使を務めたウィリアム・ブリット(ユダヤ人)

 

ブリットは1933年初代駐ソ大使になっているが、彼の腰巾着が共産党員のリンカン・ステフェンズである。彼は1917年のロシア革命の時代にはトロツキーと共にロシアに渡り革命のため画策するところあり、莫大な資金がアメリカ政府から出ていた。アメリカが「ソ連の助産婦」ともいわれるゆえんである。

 

■■アメリカ人かユダヤ人か


これらルーズベルトを囲繞するユダヤ人達がアメリカに忠誠を誓っていたかというと、すべては疑問であろう。

第二次大戦勃発後、ルーズベルトは在米日系人を隔離収容所へ入れた。このことに対しては最近、カーター大統領が正式に謝罪したが、ルーズベルトはこれら日系人に対してアメリカヘの忠誠を強引に誓わせようとした。それに対して日系人は、市民権を与えることが先決であると反論した。全く当然の論理である。

一方、ルーズベルト・グループのユダヤ人達は、途中移民でも皆市民権を獲得しながら、兵役にはつこうとしなかった。



ニューディール派の特徴をざっと説明しよう。

この一派は、特に外交政策においてアメリカの国益と直接なんの関係もない欧州戦介入のため伝統的な孤立主義、中立主義を侵犯し強引に対独戦にアメリカを引きずり込むという「非米活動」を行なったのである。さらに国内においては、200万ドルという当時としては天文学的数字の赤字をつくってしまったのである。これはルーズベルトの前任の32人の大統領がつくった赤字と同額であるから、驚くほかはない。

このケタ外れの赤字をつくる原因となったのは、階級闘争の激化をもたらすところの労働組合に対して団体交渉権を与えたことである。資本主義国において大統領が率先して内部闘争を激化させる政策をとることは信じ難いことである。しかしこれは白昼夢ではない。

このことはただこれ自体でも驚くべきことであるが、そんなことぐらいで驚いてもいられない。外でもなく、戦後の日本にそっくり持ち込まれているではないか。しかも国の基本法たる憲法にまで書き込んで。

ここで2つのことがいえる。1つは、資本主義国といってもかような反資本主義的政策を行なうことがあるということである。いま1つは、したがってアメリカという一国もアメリカという国の本来的利害を離れた政策をとることがあり得るということである。後者の方は単一民族国家である日本では想像もつかないことかも知れない。

戦後アングロサクソンのアメリカとしての怒りを爆発させたものがマッカーシズムであるが、この怒りはルーズベルトの国内政策における共産主義化傾向もさることながら、何よりも対独戦介入を強引におしすすめたことが最大の原因である。

アメリカには、伝統的な孤立主義、中立主義というものがあった。ルーズベルトにとっては、これが最大の目の上のこぶだったのであった。そのため、自らが行なう政治的工作とは別に、ユダヤ系で占めるジャーナリズムを総動員したのであった。その先頭に立ったのが、なんと今日の日本で平和のチャンピオンの如くたてまつられている『ニューヨーク・タイムズ』紙だったのだ。

 

■■煽戦の先頭に立った『ニューヨーク・タイムズ』


1940年9月27日付の『ニューヨーク・タイムズ』は、ワシントン支局長の言として、「米国が日本に対してとり得る唯一の道は、経済封鎖である」と公言し、人道上肯ぜられない近代工業国家へ資源を絶つ鬼畜行為を米国政府に要求している。

12月1日の紙上では「米国政府がいよいよ積極的に日本の東亜新秩序建設に圧力を加えていくだろう。さらにソ連の対支援助も米国の今次の行動により大いに鼓舞されるであろう」と、ソ連の捲き込みも狙っていた。

また、9月26日の社説では「支那の抗日戦継続は太平洋における列強としての米国の利益に一致する。従ってこの政策遂行の第一歩は対支借款増加であり、今回の2500万ドル新借款発表は米国政府の動向を示すものとして注目される」と公言している。

東亜(極東地域)の禍乱を望む発言であり、「太平洋における列強としての米国」ということは極東の局地戦であるはずの支那事変を世界大戦の規模にまで拡大せんとするものである。

9月3日付では、「米国は日本と事を構える意志もなければ、事実その理由ももたない。しかし米国としては純然たる利己的理由からいっても日本を現在のまま支那事変に没頭せしめ、さらに援蒋政策を拡大し、重慶をして引続き抗日運動を継続せしめる方が米国の利益となる」として、支那事変の解決を誠心誠意希求する日本をあざ笑っている。マルコポーロ・ブリッヂ(盧溝橋)事件と関係ないのだろうか。



1938年6月17日付のフランスの新聞『ル・タン』は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説から次の如きものを引用している。

「アメリカがいくら地理的に隔離していようとも、欧州の戦乱から生ずる結果に対して孤立、無影響であることはできない。どんな中立法もアメリカ市民がその諸国民(欧州のこと)に好意をよせることに制肘を加えることはできない。欧州で戦前戦後の如く紛争がつづいている今日では、アメリカの好意と支持とは、そして結局またいっそうの有力な手段とはアメリカ市民のそれと同様の生活様式を守っている国々によせられるのが当然である。」

これは廻りくどい表現だが、つまるところ、欧州のユダヤ人を助けろ、といっているのである。

『ル・タン』紙は上の一部を引用した後、次の如くつけ加えている。『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説は、さらになお、現在の世界情勢に関するアメリカ市民の感情を次のように表現している。

「アメリカ市民は今やもう戦争を招来するようなどんな時局に対しても中立的態度をとり続けることはできない。将来において世界列国の政治的均衡を破るに至るような恐れのある局面に対しても我々は到底傍観者たる立場を守りうるものではない。我々はヨーロッパからかけはなれているにもかかわらず、ヨーロッパ国民(その実、ユダヤ人=著者注)と共同歩調をとらざるをえないのである。これに対して国務長官ハルも賛同的な意見をもらして『自分は新聞にかような言説が表われるのを目にしてアメリカが海外の事態に対してだんだん関心を深めていることの表徴であると見なしたいので、自分もこの点についてはすでにナショナル・プレスクラブで言明しておいた』と述べたそうである。」

『ニューヨーク・タイムズ』紙のこの社説は各国に大きなショックを与え、国際ユダヤ勢力が必ずドイツに対して戦争を挑発するであろうという確信をもたせるに至ったのである。

かえりみると、ユダヤ人リバン・ブランが『ル・タン』紙上で、頭からアングロサクソンのアメリカを馬鹿にしてかかり、あらゆる手段に訴えて彼らアングロサクソンの世論をユダヤの戦争政策の方向へ転換させることが必要であると書いたのは1936年11月27日のことであるが、1938年6月17日の前述の『ル・タン』紙には以上の如く、ブランを通じて与えられたユダヤ号令が実行され、実を結んだことが報道されている。すなわち、ユダヤ人は以来1年半の間に、アングロサクソンに対して「諸君達もヨーロッパの情勢に無関心ではいられないのであるぞ」という信念を吹き込むことに成功したのである。

アメリカが徐々に欧州の政局へ容喙しだしたのは、ユダヤ勢力の一大勝利であった。ギリシアのフランス語ユダヤ新聞『ランデパンダン』の1938年6月16日号は肉太活字の見出しで、「アメリカの中立はもはや放棄されている」と書き、その下で凱歌もどきの得意たる一文を書いていた。



ライフ誌の編集長、ユダヤ人のヘンリー・ルースは「アメリカの世紀」という論説で次のようにいっている。

「我々はもう戦争に参加しているのである。我々はアメリカの領土を守るために参加するのではない。我々がこの戦争に加わるのはアメリカを防衛するためといい張ることはできないはずである。それ故我々の直面している問題は生存上の必要に関するものではなく、ほとんどもっぱら自由選択と打算の問題である。」

 

http://inri.client.jp/hexagon/img/Henry_Luce.jpg
ヘンリー・ルース。中国で生まれ育ったユダヤ人。ラジオ・映画ニュースにも大きな影響力を持っていた彼は、1930年代から、親中反日の一大キャンペーンを張り、アメリカのアジア外交、特に対中国外交に大きな影響を及ぼした。

 

これに対して当時のドイツの有力誌『ヴェルト・ディーンスト』は1938年7月1日号でこう述べている。

「アメリカが現在のような政策を追求する以上、戦争到来はほとんど不可避である。第二次世界大戦を導き出すことに専念しているユダヤ秘密力は、アメリカがこのような介入政策をとり出したことによって一つの素晴らしい背面援護を得たのである。彼らはこれに勢いを得て今後は従来の努力を倍増するだろう。アメリカは果たしてこの世界の文明の破壊の大雪崩に対して最後の一突きを与えようした国々としての永久的汚名に甘んじるつもりであろうか。」

この『ヴェルト・ディーンスト』誌の警告はその後判を捺したように事態の推移により実証されることとなるのである。

次に、当時の各国の主要ジャーナリズムの反応を見てみよう。

 

■■アメリカ国民の良識の反撃


ルーズベルトのあくなき対独戦介入への煽動に対して、アメリカ国民も黙ってはいなかった。ニューヨーク州選出の下院議員ハミルトン・フィッシュはルーズベルト政府に対して「大統領なり閣員が今後少しでも外国攻撃の挑発的、ヒステリックな言辞を発したり、世界を焼きつくすような業火を燃え上がらせるような態度に出ることは許されない」と警告を発している。

 

 

また、「アメリカ愛国主義者同盟」の別団体である「アメリカ・クリスチャン・ミリタンツ同盟」もたまりかねて、ルーズベルトに対して次の如き電文を送っている。

「われらクリスチャン・ミリタンツの愛国者は貴下が先日シカゴで話した言葉に関し、貴下がある種の黒幕勢力に使嗾(しそう)されて、アメリカを外国との戦争へ追い込むことを辞さないだろうことを心から恐れるものである。

『アメリカ愛国主義者同盟』は、貴下が後日事態の認識において欠くところがあったという遁辞を設けないために法律上許されている派遣委員を貴下の下に送り、彼らをして貴下に否定すべからざる証拠資料を示し、世界における戦争が単に大財閥の間で戦われる帝国主義戦争に他ならないというふうに説明しようとしている。この大財閥とはシオニスト運動を代表するロスチャイルド家と国際主義の統率者であるウォーバーグ家とである。

アメリカはこの真相を看破している。したがって貴下がこのユダヤ覇権争いのためにアメリカの罪のない壮丁を犠牲にし、アメリカの平和な生活を破壊に陥しめようと欲してもアメリカ自体は断然これを拒否するであろう。

故に我々は『米国大戦従軍軍人団』及びその他の憂国諸団体と協同して、我々市民を戦争に巻き込ませるような外国とのどんな同盟に対しても抗議するものである。

この国の多年にわたる危機的産業破壊も上述の同じ外部的権勢群によって招致されたものであるが、この現状からしても先ず第一に必要なのはあらゆる強健な男子が家庭にとどまって、自国を共産主義から守ることである。」



ここに述べられていることは、ルーズベルト政府の本質をあますところなく暴露している。ドイツのユダヤ人救済のためアメリカを何が何でも対独戦に引きずり込まねばならぬとするルーズベルトに勇敢に身を挺して抗議しており、また最後の部分でルーズベルト政府が共産主義者の集まりであることにも抗議している。

 

■■GHQのニューディーラー


ニューディーラーは事実上、初期のGHQを思うがままに牛耳っていた。マッカーサーもニューディーラーの指令に忠実に動いていたことは事実である。

しかし、このニューディーラーの政策は一言でいえば典型的な教条主義であった。マルクス主義の国家論にあまりにも忠実でありすぎたのであった。アメリカでもルーズベルト政府時代に階級闘争の激化を計った事実もある通り、すべてをマルクス主義にのっとって施策していったのであった。

日本で先ずやったことは、天皇制とそれに関係ある問題の変更であった。東洋の一角に燦然と輝く日本の国体というものは、それら頭の悪いニューディーラーにとっては打倒目標の最たるものと映ったのであった。第一次大戦の結果、欧州の3つの王冠、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシアは見事蹴落とすことに成功した。残るは日本の国体だけである、と少なくとも彼らは考えたのであった。そのため、彼らは先ず天皇制に附随する問題の改革に力を注いだのである。外濠から埋めていこうというわけである。

 
 

先ず、日本の国体と密接に関係のある教育における去勢作業から始めたのであった。修身、地理、歴史(地理歴史という場合問題とされるのは、事実上、日本の皇国史観のみであった)の授業を禁止する措置をとった。

修身とは他国には絶対見られない学科であった。これは君民共治という人類の理想を具現化したものへ導くための基礎的な教育である。ニューディーラーはいまだ、天皇制が君民共治の理想のただ一つの具現化されたものであるということを知らなかった。真に恥ずかしい話である。そのためこの修身科を先ず崩すことから始めたわけである。

ついで地理、歴史である。地理の方は歴史と「地歴」というふうに一対に考えられていたので巻き添えをくったものであろう。問題は歴史の方である。皇国史観は君民共治を軸として構築されたものである。ところが無知なニューディーラーは、マルクス主義の国家論を教条主義的に考える以外思考力がなかったのだ。国家破壊の最大障害として天皇制を崩壊させることしか頭になかったのだ。したがって天皇制を基調とする皇国史観を敵視したのであった。

 

■■創造力の去勢── ○×式思考法


教育改革において一般論的な要素として最も重要なことは、○×式思考法を植え込んだことにあろう。

この○×式は別章で説明した通り、ルーズベルトが戦時動員のため採用手続の簡略化という名目で一般化させたものである。もともと、ユダヤ的思考法の二元論に他ならない。

日本の教育界でも、これを戦後もって来られた時驚いたものであった。なんたる単純思考か。しかし精神的空白状態にあった当時の日本では、しらずしらずのうちに消化されていったのであった。決して「歓喜力行」されたものではない。

しかしこの方式は、何よりも創造力を去勢するという欠点をもっているといわなければならない。問題の選択ができない。与えられたものの中からしか答を選べない。問題に提起されたものよりはるかにいい考えがあっても、それを答として選ぶことはできない。これでは創造力は奪われるであろう。

さらに、依頼心の強い人間をつくることにもなる。つまり、あまり努力をしないでも何分の一かは正解の確率が潜んでいるわけであるから、思考力も弱り、逆にギャンブル性が強くなろう。



次に、ニューディーラーは階級闘争の激化につながる労働運動を盛り上げた。

ここで是非とも強調しておかなくてはならないのは、憲法に実体法に属する団体交渉権を挿入していることである。国家的意志統一のコーディネーターであるはずの一国の憲法に労働運動の強化を促すような条項を入れるとは、非常識極まるものである。この階級闘争の激化は戦後の日本の経済発展に大きな犠牲となっている。

しかしこれらはほんの氷山の一角にすぎず、最も大きな支柱は東京裁判と日本国憲法にあるのである。

 

■■ニューディーラーの戦後処理計画


1944年8月の時点で、アメリカはすでに戦後対独政策なるものの検討に入ったが、この時ルーズベルトは、前述のように「我々はドイツに対して厳しく当たらなければならない」と述べている。ルーズベルトの頭の中には、ドイツ人抹殺計画があった。ここでは階級闘争史観もくそもない。ジェノサイド(民族皆殺し)があるだけである。

対日態度はルーズベルトの死後であるので、彼の態度は詳しくは分らないが、原爆使用も彼が決定したものであり、戦争中日本民族を抹殺せよと言っていた点からしてほぼ同じものと推察できる。ただ幸いなことに、日本、ドイツともルーズベルトの死後に降伏した。後任者はさすがにこのような考えはもっていなかったわけである。

この点は、アメリカ内部でもユダヤ人であるルーズベルトとその腰巾着モーゲンソーの考えに対してスチムソンは強力に反対した。ルーズベルトは戦後対独政策の検討のため閣僚委員会を作ったが、そのメンバーはモーゲンソー、スチムソン、ハル、ホプキンスであった。この中で非ユダヤ人のスチムソンは、モーゲンソーがドイツ国民全体に対して強い憎しみの感情をもっているとして、そのようなことからアメリカが大量報復の挙に出るのは断じて肯じないとした。

 

http://inri.client.jp/hexagon/img/Henry_Stimson.jpg
ヘンリー・スチムソン陸軍長官。「マンハッタン計画」の最高責任者。

 

このモーゲンソー案に対しては、同じユダヤ系のジャーナリズムもさすがに黙ってはいなかった。戦前、盛んに対独戦参加を鼓吹してルーズベルトを助けた『ニューヨーク・タイムズ』なども、このモーゲンソー案が将来ユダヤ勢力にとって決して有利なものでないことをクールに悟っていたのである。なんとかモーゲンソーの頭を冷やす必要を感じたのだ。

そのほか、『ワシントン・ポスト』 『ロンドン・スペクテイター』 『マンチェスター・ガーディアン』なども同様であった。

さすがにルーズベルトもこれには参って、スチムソンに対し、ドイツを純粋の農業国に回帰させるつもりはないといわざるを得なくなった。スチムソンの努力によって、アメリカの汚名を防いだのであった。もともとルーズベルトやモーゲンソーのユダヤ勢力にとってはアメリカの名誉、国益などは眼中になかった。もしそのようなことを考えているなら、世界戦争へ突入するわけがない。



日本への原爆投下は、1944年9月18日、ルーズベルトの私邸でルーズベルトとチャーチルの間で決定されている。(※ 「ハイドパーク協定」)

チャーチルが反対したかどうかはつまびらかでないが、とにかくルーズベルトが最終決断している。戦後しばしば日本への原爆投下について、これはソ連の進出に対する牽制であるといった理由付けが行なわれているが、これは全くのウソである。


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※ 補足説明

「ハイドパーク協定」(1944年9月18日)

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆使用と将来の核管理について申し合わせたもので、1972年に初めて公開された秘密協定である。

恐るべきことに、まだドイツが敗北していなかった時期に、「日本への原爆使用」が決定されていたのだ。

なお、この秘密協定が結ばれた時期は、ノルマンディー上陸作戦からパリ解放の歓喜に沸く時期であったから、ドイツの敗北は軍事的に決定的だったという説明がある。しかしドイツはその後もロンドンにV1ロケットを発射し、実際にドイツが降伏したのは、この7ヵ月以上もあとのことであった。また、日本の敗北が軍事的に決定的だったことも、同様である。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe806.html

日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──第1章
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/915.html
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日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──第5章
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