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『アンネ・フランクの日記』偽作説関連情報
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-19.html
『偽イスラエル政治神話』(その19)
2章:20世紀の諸神話(その7)
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その4)
[芸術作品による歴史的事実の歪曲]
[中略]
これらの荒唐無稽な文学神殿の中心に祭り上げられているのは、世界的なベストセラーになっている『アンネ・フランクの日記』である。この非常に感動的な物語は、現実に取って替わり、ついには、神話を歴史に変装させる。
イギリスの歴史家、デヴィッド・アーヴィングは、一九八八年四月二五日と二六日のトロント裁判に出廷し、アンネ・フランクの“日記”に関して、つぎのように証言した。
《アンネ・フランクの父親は、私との何度かの手紙のやりとりを経て、ついに、“日記”の手稿を専門的な研究所の鑑定に委ねることに同意した。私は、偽造の疑いが掛けれている文書については、いつも、こういう要求をしている》(トロント裁判記録)
彼が鑑定のために“日記”の手稿を引き渡した研究所は、ドイツのヴィスバーデンにある警察の刑事犯に関する研究所である。鑑定の結論によると、アンネ・フランクの“日記”の一部はボールペンで書かれていたが、アンネ・フランクが死んだのは一九四五年だったのに、ボールペンが市販されるようになったのは一九五一年以後なのである[訳注の追加]。
訳注の追加:私自身が1998年1月にパリでガロディ裁判の際に会い、かなりの会話の時間をも得たフランスの文書鑑定家、元ソルボンヌ大学教授、ホロコースト見直し論の中心人物、ロベール・フォーリソンは、アンネ・フランクがアメリカのペンフレンドに出した葉書(LIFE誌の表紙)の文字と、“日記”の文字とが、まったく異なる点に注目している。実物の比較の映像は、私が発行している『歴史見直しジャーナル』23号(1998.11.25)にも収録した。興味のある方にはE-mail申込で実費頒布する。
デヴィッド・アーヴィングは、さらに続ける。
《私の個人的な結論によると、アンネ・フランクの“日記”の大部分は、確実に一二歳のユダヤ人の少女によって書かれたものである。原文は、少女が集中収容所でチフスに罹って悲劇的な死を迎えたのちに、父親のオットー・フランクの手に入った。父親か、もしくは私が知らない別の人物が、その“日記”に添削をしたりして売り物になるような形式を与え、それが父親とアンネ・フランク財団に富をもたらした。しかし、原文に変更が加えられた以上、この本には、歴史的な記録としての価値は、まったくない》
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フォーリソンは、アーヴィングを軽率と批判するが、「“日記”の大部分は、確実に一二歳のユダヤ人の少女によって書かれたものである」という主張に反対なのであろう。「アンネ・フランクがアメリカのペンフレンドに出した葉書(LIFE誌の表紙)の文字と、“日記”の文字とが、まったく異なる」ことは一目瞭然である。子供っぽい丸文字と、書き慣れた斜めの筆記体である。
ただし、アンネ・フランク財団は、同一人物でも字体が変わると称して、「専門家」の鑑定報告を発表している。