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(回答先: 大手ネット書店がヴィーゼルの『夜』を「小説」から「ノンフィクション」へ分類変更の怪 投稿者 はちまき伍長 日時 2006 年 1 月 22 日 10:53:32)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-19.html
『偽イスラエル政治神話』(その19)
2章:20世紀の諸神話(その7)
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その4)
[
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-19.html
『偽イスラエル政治神話』(その19)
2章:20世紀の諸神話(その7)
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その4)
[芸術作品による歴史的事実の歪曲]
[中略]
ノーベル賞[文学賞ではなくて平和賞]受賞者のエリ・ヴィーゼルによる事実無根の黙示録的空想にまで至る。ヴィーゼルが見たと称するのは、“彼がその目で見た”のであり、それは野外の穴から燃え上がる“巨大な火焔”なのであって、“その中に幼児が投げ込まれる”というのであるが、その当時、その収容所の上空から間断なく撮り続けていたアメリカ空軍の航空写真には、まったく火焔の映像が見当たらないのである。
ヴィーゼルは、次第に強まる残酷さと狂気のクレッセンドの頂点で、こう付け加える。
《その後に私は証言を得たのだが、何か月も、何か月も、地面は止むことなく身震いを続け、そこから、血が、いつまでも、いつまでも、間歇泉のように吹き出し続けた》(エリ・ヴィーゼル『他人の話』82)
この場合、ヴィーゼルは、バビヤール[訳注1]に関する“証言”を使っている。
訳注1:バビヤールは、ウクライナのキエフの北西に位置する涸れた渓谷の地名。ナチの武装親衛隊が、この渓谷で、一九四一年から四三年に掛けて一〇万人、一九四三年八月一八日から同年九月二九日に掛けて七万人を虐殺して埋めたと告発されており、イギリスに亡命したロシア人作家、A・アナトーリ・クズネッツォフの小説、日本語訳題名『バービィ・ヤール』や、ショスタコーヴィッチの交響曲一三番『バビヤール』などによって、欧米では広く知られている。しかし、この場合も、カチンの森と同様、すべてソ連政府の告発で証言以外の物的証拠はなく、かねてから疑問視されていた。本書でものちに紹介される航空写真の分析家、カナダ人のジョン・C・ポールによれば、アメリカの空軍が一九四三年九月二六日、つまり第二次の七万人虐殺の最中に撮影した航空写真には、地面を掘り起こした痕跡が、まったく見られない。
]
[中略]
ノーベル賞[文学賞ではなくて平和賞]受賞者のエリ・ヴィーゼルによる事実無根の黙示録的空想にまで至る。ヴィーゼルが見たと称するのは、“彼がその目で見た”のであり、それは野外の穴から燃え上がる“巨大な火焔”なのであって、“その中に幼児が投げ込まれる”というのであるが、その当時、その収容所の上空から間断なく撮り続けていたアメリカ空軍の航空写真には、まったく火焔の映像が見当たらないのである。
ヴィーゼルは、次第に強まる残酷さと狂気のクレッセンドの頂点で、こう付け加える。
《その後に私は証言を得たのだが、何か月も、何か月も、地面は止むことなく身震いを続け、そこから、血が、いつまでも、いつまでも、間歇泉のように吹き出し続けた》(エリ・ヴィーゼル『他人の話』82)
この場合、ヴィーゼルは、バビヤール[訳注1]に関する“証言”を使っている。
訳注1:バビヤールは、ウクライナのキエフの北西に位置する涸れた渓谷の地名。ナチの武装親衛隊が、この渓谷で、一九四一年から四三年に掛けて一〇万人、一九四三年八月一八日から同年九月二九日に掛けて七万人を虐殺して埋めたと告発されており、イギリスに亡命したロシア人作家、A・アナトーリ・クズネッツォフの小説、日本語訳題名『バービィ・ヤール』や、ショスタコーヴィッチの交響曲一三番『バビヤール』などによって、欧米では広く知られている。しかし、この場合も、カチンの森と同様、すべてソ連政府の告発で証言以外の物的証拠はなく、かねてから疑問視されていた。本書でものちに紹介される航空写真の分析家、カナダ人のジョン・C・ポールによれば、アメリカの空軍が一九四三年九月二六日、つまり第二次の七万人虐殺の最中に撮影した航空写真には、地面を掘り起こした痕跡が、まったく見られない。