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ホロコーストをめぐる戦い
2005年12月20日 田中 宇
「ホロコースト」は、ドイツのナチス政権が第二次大戦中とそれ以前に、ドイツや、東欧などの占領地でユダヤ人を強制収容所に入れ、ガス室などで殺したとされる事件であるが、最近、欧米で「実はホロコーストは行われていなかった」もしくは「600万人が殺されたとされているが、実は死者数はそれよりずっと少ない」など、一般には「確定した歴史的事実」と考えられているホロコーストについて「別の見方」を発表した歴史学者らが、ホロコーストを否定したことを理由に、逮捕投獄されたり、強制送還されたりする事件が相次いでいる。
彼らはホロコーストをめぐる歴史の「見直し」(リビジョン)を提唱しているので「見直し論者」(リビジョニスト)と呼ばれている。逮捕したのは、ドイツとオーストリアの当局で、この2つの国では、ホロコーストを否定したりナチスを礼賛する言動が、違法行為とされている(ほかにフランス、スイス、ベルギー、イスラエルなどが同種の法律を持っている)。逮捕されたのは、リビジョニストのうち特に著名な4人で、このうち3人がドイツで、1人がオーストリアで逮捕起訴された。
ドイツで逮捕された3人のうちエルンスト・ツンデル(Ernst Zundel)は、ドイツ生まれだが1958年からカナダに住み、デザイナーをする傍ら、1980年に「本当に600万人も死んだのか」(Did Six Million Really Die?)という題の、ホロコーストの死者数は誇張されていると主張する本を書いた。彼は2003年にアメリカを旅行中、米入管当局に入国管理関係の法律違反で逮捕され、カナダに送還され、そのままカナダで2年間、勾留された後、今年3月にドイツに送還された。その後ドイツ当局から、ホロコーストを否定した容疑で逮捕起訴され、11月8日に裁判が始まった。(関連記事その1、その2)
2人目のゲルマー・ルドルフ(Germar Rudolph)はドイツ生まれの化学者である。彼は「チクロンB」という毒ガスを使ってユダヤ人が殺されたとされているアウシュビッツとビルケナウの収容所のシャワー室の壁の煉瓦の表面のサンプルを調べた結果、チクロンBが実際に使われたとしたら煉瓦に残るはずの残留物が残っていなかったことから、1985年に「チクロンBは使われておらず、ガス室は存在しなかったのではないか」と主張する論文「ホロコーストの検証」(英文題名"Dissecting the Holocaust")を発表した。(関連記事)
彼の主張はドイツの法律に違反することになり、本は発禁になり、起訴されたが、1986年に判決が出る前にドイツから逃亡し、各地を点々とした後、アメリカのシカゴに住んでいた。今年4月に入管から呼び出しを受けたが出頭せず、アメリカ人女性と結婚したため永住権を申請しに今年10月に入管に出向いたところ逮捕され、11月14日にドイツに送還され、逮捕された。(関連記事)
▼「アンネの日記」懐疑論者も起訴
3人目のジークフリート・フェルビーケ(Siegfried Verbeke)はベルギー人である。彼は、ナチスに迫害されたユダヤ人一家の話として戦時中に書かれたとされる「アンネの日記」について、日記は戦時中に書かれたものであるはずなのに、その原版を見ると、戦後の製品であるボールペン(1951年に市販開始)で加筆された部分がかなりあり、後から意図的に改竄されている、などと主張する論文(他のリビジョニストの主張の引用が中心)を刊行したが、オランダの裁判所で今年8月、発禁処分になった。(関連記事その1、その2)
その後、ドイツ当局が、フェルビーケの主張の中にホロコーストに疑問を投げかけている部分があることに注目し、自国でも裁く必要があるとしてオランダに移送申請し、10月に身柄がドイツに送られた。
一方、オーストリアで逮捕されたのは、イギリス人の歴史学者デビッド・アービングで、1989年にオーストリアで行った講演でホロコーストを否定する発言をしたとして、11月14日に逮捕された。アービングは、ナチス時代のドイツの歴史を詳細に研究した人で、自らの研究の結果として「ヒットラーがユダヤ人の絶滅を命じたという定説は間違いである」などと主張していた。(関連記事)
彼は、オーストリアに行ったら逮捕されるかもしれないと知っていたはずだが、どうしたことか右派学生組織の要請に応えるかたちでオーストリアを訪問し、逮捕された。逮捕後、弁護士に「ホロコーストはなかったという自分の以前の説は間違っていた」と述べたと報じられている。(関連記事)
(著名なリビジョニストであるロベール・フォーリソンは、2000年に「アービングは資料を注意深く読んでいないので、論敵に攻撃されては撤回することを繰り返し、簡単に負け続けている。彼は、リビジョニストの代弁者のように言われているが、それは間違いだ」と書いている)
ドイツなどで、ホロコーストの否定やナチス礼賛を禁じた法律に違反して逮捕される人の多くは、うさ晴らしに「ヒットラー万歳」と叫んだ若者などであり、根拠を挙げてホロコーストの定説に異議を唱えた人が何人も集中して逮捕起訴されることは珍しい。4人が主張してきた異議に対しては「根拠が薄い」などとする批判が集中してきたが、その一方で「正しい主張なのではないか」と考える人もおり、インターネット上などで激しい議論が続いてきた。
4人が逮捕された経緯や時期的な重なり方からは、ドイツとオーストリアの政府が、ホロコーストの見直しを求める行為を「違法行為」として裁くという意志を見せるという意図が感じられる。この政策には、アメリカ、カナダ、オランダが容疑者の移送というかたちで協力しており、欧米内の協調であるという感じがする。
▼国際問題の中で唯一分析が禁じられた事項
「ホロコースト」は、私自身を含む多くの分析者にとって厄介なテーマである。リビジョニストたちの逮捕から分かることは、歴史的事実を分析していった結果「ホロコーストはなかった」「誇張されていた」という結論に達し、それを発表したら、その時点で世界のいくつかの国で「犯罪者」にされてしまうということだ。このような状況になっているのは、国際問題の諸テーマの中で「ホロコースト」だけである。
私はこれまで、毎週解説記事を書くために国際情勢を分析していくうちに、一般に信じられていることと全く異なる結論に達するということが何度かあった。「サダム・フセインは大量破壊兵器を持っているはずだ」という「常識」に対しては、米英での議論を読み解いていくうちに、すでにイラク開戦前の段階で「おそらくフセインは大量破壊兵器を持ってないのに、米当局はそれを歪曲している」という分析結果が出ていた。(関連記事)
911後のテロ戦争に関しても「アルカイダというテロ組織がアメリカに攻撃を仕掛けている」という「常識」とはかけ離れた分析結果が出ている。(関連記事)
イラク戦争や911は最近の出来事であるのに対し、ホロコーストは60年以上前の歴史であるという違いはあるが、分析を開始する前の時点で、分析を進めたら常識とは異なる結論になるかもしれないという点では同じである。分析の結果、結論がどうなるかは分からない以上、常識と異なる結論に達したら「犯罪者」にされるというのは、分析が禁じられているのと同じである。
日本では現在、リビジョニストは犯罪者ではなく、雑誌が廃刊に追い込まれる程度だが、今回リビジョニストがアメリカからドイツに移送されたことを考えると、対米従属の日本で今後、同様の措置が行われても不思議ではない。ホロコーストの事実性を分析することは、国際的に犯罪扱いされる時代になっている。
EUでは、欧州議会のフランス人の極右議員が「私はガス室がなかったとは思わないが、私は専門家ではない(ので結論を出せない)。この件は、歴史家たちに議論させてみるべきだと思う」と昨年10月に発言した件をめぐり、議員としての不逮捕特権を解かれ、起訴されそうになっている。つまり欧州では、ホロコーストの事実性を検証の対象にしようと呼びかけること自体が禁じられている。(関連記事)
▼ホロコーストは政治的に利用されてきたのではないか
ホロコーストの事実性を分析することは禁じられているので、私はこれを分析しないでおく。だが、禁止範囲の外側にも、ホロコーストに関係した分析すべきことはいくつもある。その最大のものは、ホロコーストを歴史的事実と認めた上で出されている「ホロコーストは政治的に利用されてきたのではないか」という疑問である。
この問題を提起した人として著名なのは、アメリカのシカゴ大学教授の歴史学者ピーター・ノビック(Peter Novick)である。彼はシカゴ大学にユダヤ研究コースを設立した権威あるユダヤ人学者で、1999年に「The Holocaust in American Life」(アメリカ社会におけるホロコースト)という本を出版した。同書は、アメリカのユダヤ系社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、それはイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している。
戦後の最初の20年間(1945−65年)、アメリカのユダヤ人たちは、ホロコーストについてほとんど語ろうとしていなかった。その理由の一つは、戦後すぐに冷戦が始まり、アメリカの敵はドイツからソ連に代わり、ドイツ(西独)はアメリカの同盟国になったので、ドイツの戦争犯罪を追及することが控えられたからだった。
当時のユダヤ社会には、被害者意識を持ち続けることは後ろ向きな態度であり良くないと考える風潮もあった。リベラル主義の考え方を背景に、ユダヤ人だけの被害を考えるのではなく、抑圧されているすべての民族のことを考えるべきだという普遍的な人権主義の方が重視されていた。(関連記事)
1950年代末に米中西部の大都市近郊に住むユダヤ系アメリカ人を対象に行われた世論調査によると「良いユダヤ人であるためにあなたが重視することは何ですか」という質問に対し「恵まれない人々への援助」と答えた人が58%だったのに比べて「イスラエルへの支持」と答えた人は21%しかいなかった。1970年代より前には、ユダヤ系アメリカ人は大してイスラエルを支持していなかった。(関連記事)
状況が大きく変わったのは1967年と73年の中東戦争からで、アラブ諸国と戦うイスラエルのもとに欧米のユダヤ人を結束させるために、ホロコーストの被害が喧伝されるようになった。「イスラエルが負けたら再びホロコーストが起きる。ユダヤ人は全員イスラエルを支援すべきだ」「ホロコーストの再来をふせぐためイスラエル国家の強化が不可欠で、そのためにパレスチナ人が難民になることなど小さいことである」といった理屈だった。
ホロコーストが起きた背景には、欧州のキリスト教徒の反ユダヤ観(キリストを殺したのはユダヤ人だという視点)があったとする考え方も広まり、ホロコーストを防げなかった欧米諸国は罪滅ぼしのためにイスラエルを支援する義務があるという主張が出てきた。
1940年代末、ニューヨークの著名なユダヤ人たちが金を出し合ってユダヤ人迫害を記念する石碑を作ろうとした。だが、アメリカユダヤ協会(AJC)、名誉毀損防止組合(ADL)など、今ではホロコーストを非常に重視しているユダヤ人組織の多くが、当時は「そんなものはユダヤ人が弱いということを物語るものなので、作らない方が良い」と反対していた。(関連記事)
「アンネの日記」は1955年に演劇化され、59年には映画化されたが、いずれも苦境の中で前向きに生きる普遍的な人間性に焦点を当てており「ユダヤ人迫害」の物語として描かれていたわけではなかった。演劇でも映画でも、アンネ・フランクは「迫害されてきたのは私たちだけじゃない。ある時はある民族が、別の時には違う民族が迫害されている」という普遍的な人権問題を象徴するせりふを発しており、当時のユダヤ系社会が目指していた理想が何だったかを物語っている。
ところが、普遍的人権よりホロコースト再発防止の方がずっと重要なのだという意識がユダヤ系社会に広がった後の1980年代には「アンネの日記」の演劇や映画はユダヤ系の評者に酷評されるようになり、やがて「普遍的な人権問題だけに結びつけられるのなら、アンネの日記が存在していること自体に意味がない。戦災で焼失していた方がましだった」とまで言われるようになった。(関連記事)
▼ネオコンにつながる話
ホロコーストがイスラエルを支援するための理論として喧伝され始めたのが1970年代だったということは、今起きているアメリカの政治闘争そのものにつながる話である。アメリカのユダヤ人の間で、イスラエルを支持するシオニズム運動が熱烈に始まり、多くのユダヤ系アメリカ人がシオニストとなってイスラエルのパレスチナ占領地内に移住して「入植運動」を開始し、右派政党リクードが結成されたのが1970年代である。
アメリカのシオニストの中に、ベトナム反戦運動で打撃を受けていた軍事産業の再生戦略に貢献することで、米政界の中枢に入っていこうとする動きが起きたのも1970年代である。この動きをしたのはリチャード・パールら、今では「ネオコン」と呼ばれる人々である。(関連記事)
彼らの戦略は功を奏し、1981年に就任したレーガン政権に入り込み、82年には、イスラエルの近くに米軍を長期駐留させることを暗に目指したレバノン侵攻を起こした。その後、ネオコンはいったん政権中枢から排除されたが、2001年のブッシュ政権で再び中枢に入り、イラク侵攻を実現している。
このように見ていくと、1970年代以降のシオニズム運動にとって「ホロコーストで600万人のユダヤ人が抹殺された」ということの事実性が非常に重要であることが見えてくる。ホロコーストが持つ衝撃が、欧米のユダヤ系の人々をイスラエル支持の方向に動かし、キリスト教徒が支配する欧米諸国の国家的意志決定にも影響を与えてきたからだ。
イスラエルは、石油などの天然資源もない狭い国であり、アラブ人を追い出して作った国なので周囲は敵ばかりで、頼れるものが少ない。そんな中でシオニストは、ユダヤ人の伝統的な特技である「知恵」「情報力」を頼りに、世界最強国アメリカに食い込み、親イスラエル的な政策を採らせてきた。その際の「知恵」の中に、イラクが大量破壊兵器を持っていると人々に思わせたり、軍事産業のためにレーガン政権時代にソ連の脅威を煽ったりといった、ネオコンの情報戦略が含まれている。(関連記事)
(読者の中には「彼らは、イラクやソ連をめぐる話を歪曲したように、ナチスドイツをめぐる話も歪曲したのではないか」という疑問を持つ人がいるかもしれないが、すでに述べたように、その件を分析することは国際的に禁じられている)
▼「隠れリビジョニスト」は意外に多い?
シオニストの中でも特に過激な人々の間では「ホロコーストに疑問を呈する者は殴ってもかまわない」ということになっているらしく、フランスなどではリビジョニストがシオニストに殴られて重傷を負う事件が何度も起きている。リビジョニストは、シオニストから半殺しにされた上、当局から逮捕投獄される運命にある。(関連記事)
殴られたくない、逮捕されたくない学者や記者たちは、ホロコーストについて論ずるとき「事実性」に対しては疑問を持っていないということを明記する傾向がある。「リビジョニストのような極右のクズどもとは私は違うが・・・」といったような文言が、呪文のように論文に挟まれていたりする。
前出のピーター・ノビックの本にも、リビジョニストは「奇人」「変人」「気が狂った人」といった表現をされている。学者が書く文章は客観性を重視し、中傷的な表現を避けるのが普通だと考えると、ノビックの表現は異様である。その一方でノビックは、ナチスの残党狩りを続けてきたサイモン・ウィゼンタールはホロコーストの被害者数を水増ししている、と書いており、リビジョニストと同様の主張も展開している。(関連記事)
リビジョニスト(犯罪者)のレッテルを貼られないように呪文を唱えつつ、ホロコーストの事実性についての分析結果を注意深く開陳するのが、欧米の論者のやり方らしい。彼らにとってホロコーストは、入ったら必ず死ぬ「底なし泥沼」ではなく、細心の注意を払いつつ分け入るべき「地雷原」であるようだ。
ニューヨークのユダヤ系社会でよく読まれている雑誌「フォワード」は、最近出したリビジョニストについての記事の中で、ホロコーストについて「何千人かのユダヤ人が強制収容所で死んだ件」と書いた。
これについてシオニスト右派とおぼしき人が「『何百万人かのユダヤ人が死の収容所で死んだ』と書くべきところを『何千人』と書くのは大きな間違いだ。有名なユダヤ人の雑誌が、リビジョニストと同じことを書くとは何事か」と怒っている。(関連記事)
シオニストの中でも、過激なリクードの右派と、国際協調主義を信奉する労働党系の中道派(左派)とは、主張が正反対である。「フォワード」は中道系で、以前から、右派の実態を分析する興味深い記事を多く載せてきた。フォワードの姿勢から察するに、中道系のシオニストの中には「隠れリビジョニスト」が意外に多いのかもしれない。
【続く】
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元ネタは、リンク先を参照
http://tanakanews.com/f1220holocaust.htm