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(回答先: マウトハウゼン「ガス室」についての他の資料 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 09 日 22:57:48)
やはり歴史的修正主義研究会のサイトにある
試訳:第二ロイヒター報告(ダッハウ、マウトハウゼン、ハルトハイム調査報告書、フォーリソンの序文つき)
http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/leuchter_02.htm
のフォーリソン博士の序文に事情が書かれていました。
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修正主義者の反乱(インティファーダ)
今日、「ホロコースト」の擁護者たちは混乱におちいっているが、そのことは奇妙な事態を生み出している。彼らは1970年末まで、ポーランドにあるアウシュヴィッツ、ビルケナウその他の収容所については、「ガス室」の実在の、したがって、ユダヤ人の「大虐殺」の「確固とした証拠」を持っていると信じていた。当時、彼らは、何らかの誇張があったこと、今日のポーランド以外の場所にある収容所にはガス室はなかったかもしれないことを認める姿勢をとるまでにいたっていた。ところが、1980年代初頭から、修正主義者の研究の圧力を受けて、ポーランド、とりわけアウシュヴィッツとビルケナウの「ガス室」の実在がますます疑わしいものとなってきた。このために、恐怖にもとづく反動が生み出された。宗教的ファンダメンタリズム、政治的ファンダメンタリズムでの動きと同じく、絶滅論者ももともとの信仰と教義への復帰を呼びかけるようになった。彼らは、放棄されたガス室を「ふたたび定説にしていった」。マウトハウゼン、ザクセンハウゼン、ラーフェンスブリュック、ノイエンガムメ、ストリューホフ・ナチヴァイラー、そしておそらくダッハウにも「ガス室」が存在したとふたたび主張するようになっていった。ここで念頭においているのは、リュッケルル、ラングバイン、コーゴンその他21名の筆者による『毒ガスによる民族社会主義者の大量殺戮』(Fischer Verlag, 1983)である。
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