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「週刊現代」2005.10.22号
ジャーナリズムとは言えない新聞の正しい読み方
岩瀬達哉
「問われる経済・企業報道の質」と題された、朝日新聞の内部資料がある。2005年8月作成のこの資料は、日本経済新聞や読売新聞などとの比較を交え、日本の新聞が抱える”誤報体質”と大企業におもねる”ヨイショ体質”を検証したものだ。
それら記事作り上の問題点を反省し、信頼される紙面作りに生かそうと作成されたこのレポートは、さすが社外秘扱いだけに、一般読者にはとてもうかがい知ることのできない報道現場のドタバタぶりや厚顔無恥な記者の素顔が率直に記されていて興味が尽きない(レポートの内容については、いま発売中の「月刊現代」11月号で詳述してあるので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい)。
ここでは、新聞を読むにあたって、最低知っておくべき注意点をレポートにもとづき指摘しておくことにしよう。
誤報もしくは、誤報となる確率が極めて高い新聞記事の見分け方である。
新聞記事の第一センテンスが「最終調整に入った」との表現で終わるケースは、誤報か飛ばし記事の可能性が高い。「最終調整」といったあいまいな表現を使っておけば、かりに読者からクレームがきても、「最終調整に入った」ことを報じただけで、その後、情勢が変わったなど、いくらでも言い逃れができる。いい加減な記事には必ずといっていいほど、この表現が使われているという。今後は、この種のフレーズに出くわせば、マユツバで読んでおくのが無難である。
もうひとつ、眉にツバして読むべき記事として、当局のリーク情報にもとづく「時間差特ダネ」がある。これもまた、「検討に入った」など、あいまい表現が使われるのが特徴だ。
「時間差特ダネ」とは、あらかじめ、会見などで発表が予定されている内容を、わずか半日程度、他紙に先駆けて報じただけの記事である。たいてい、リーク先の意図する方向で世論誘導の役割を担う見返りとして与えられる特ダネであることが多い。
9月30日、日経朝刊が一面トップで報じた、厚生年金と共済年金の一元化の記事は、まさにその種の「時間差特ダネ」と言っていい。日経が報じた数時間後の会見で、尾辻秀久厚労相がその記事内容を追認するや、出し抜かれた各紙は、当然のごとく翌日の朝刊で追いかける。
読売新聞が、「一元化を協議する関係省庁連絡会議を設置」と書けば、産経新聞は、「平成二十一年度から八年間かけて統合する方向で具体策の検討に入った」と報じるといった具合だ。
いずれの記事も独自色はなく、その骨子は厚労省のレクチャーをそのまま引き写したかのような内容だ。結果、年金制度の不公平が是正されるかのようなムードを醸し出し、年金批判を少なからず封じ込める効果を生んでいる。さぞ、年金官僚たちはほくそ笑んだに違いない。
しかし新聞が、「社会の公器」を主張するなら、何より、「平成二十一年」にならないと、どうなるかわからない一元化の問題に紙面を割くより、いま議論すべき緊急かつ深刻な問題を報ずべきであろう。
国民年金に加入義務のある若者が、年金官僚たちによって制度から締め出されている現状がそれだ。
'05年4月から導入された国民年金の「若年者納付猶予制度」は、表向き、所得の低い20歳代の若者に国民年金の保険料納付を一定期間猶予するというものだ。しかしその実体は、納付率の数字を上げるための姑息な手立てにすぎない。
というのも納付率は、保険料を払った人の数を納付義務者の数で割った数値である。保険料を払いそうにない若者を分母から外せば、保険料を払った人の数が変わらなくても納付率が上がることになる。そして、保険料を猶予された若者が、数年後、一括してそれを納付することなど、まず、ありえない。低所得者の若者を体よく切り捨てる制度であるという所以だ。
国民の老後のセーフティーネットである年金制度が、年金官僚自らの保身のせいで、破壊されつつある現状を報じない新聞は、最早、ジャーナリズムとは言えない。