★阿修羅♪ > マスコミ批評1 > 501.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
「9月15日付『朝日新聞』の捏造問題検証記事『信頼される報道のために』を読みましたか?」として、JANJANで、その検証記事の感想が掲載されています。朝日の検証記事とその感想は次のとおりです。
信頼される報道のために 検証・虚偽メモ問題 ― 朝日新聞(9/15)(http://www.asahi.com/information/)
総選挙をめぐる新党結成の動きの中で、朝日新聞社は長野総局のN記者(28)=懲戒解雇処分=が取材しないで虚偽のメモを作り、それに基づく誤った記事を掲載しました。どのような経緯で虚偽メモは作られ、なぜ紙面に掲載されるのを防ぐことができなかったのか。取材現場の実態や問題点を再点検し、今後の対応策を検討するため、朝日新聞社は「信頼される報道のために」委員会を設置しました。その委員会の検証結果を報告します。(09/15)
[1.政治部からの「お願い」メール]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915a.html)
[2.N記者による虚偽メモの作成]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915b.html)
[3.虚偽メモを使った記事の掲載]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915c.html)
[4.問題の発覚と懲戒処分]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915d.html)
[N記者との一問一答]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915e.html)
[検証を終えて]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915f.html)
[ご意見・ご提案をお寄せ下さい]
(http://www.asahi.com/information/release/20050915g.html)
9月15日付『朝日新聞』の捏造問題検証記事『信頼される報道のために』を読みましたか? ― JANJAN(9/24)
いくら社命とはいえ、総選挙の真っ只中に「捏造記事」の調査・執筆をしなければならなかった「検証班」(3人の社会部記者と1人の経済部記者)と、いつになく斬新なレイアウトを試みた整理部記者たちに同情の念を禁じえませんでした。記者・編集者にとって、後ろ向きの取材はもちろん、社内調査なんて、メチャメチャ気が重いものです。
ドキュメント「捏造記事はこうしてつくられる」
3ページにわたる検証は、「真相ドキュメント/捏造記事はこうしてつくられる」という記事として、興味深く読みました。「社内の風通しの悪さ」を背景にした「コミュニケーション不足」という結論は、現象的にはその通りでしょう。もちろんそれだけではありません。
「朝日新聞紙面審議会」の丹羽宇一郎委員(伊藤忠商事会長)が「一番の問題は朝日の文化。うぬぼれ、傲慢(ゴウマン)、不遜(フソン)。こういったものが根底にある(略)倫理綱領を作ったぐらいで解決するなら企業の不祥事は一切起きない」(23日付『朝日』朝刊)と看破しているように、どうも『朝日』幹部には、コトの本質が見えていないようです。
「構造的根腐れ」を解体できるのか
箱島信一前社長は日本新聞協会長辞任の記者会見で「偶発的なこととは思っていない。何か組織に体質的、構造的問題があるととらえていかないと、今後どうしたらいいのかとか、再発防止策も出てこない」と語っています(9月8日)。
それを受けて秋山耿太郎社長も、「『解体的な出直し』に、不退転の決意で臨み、新聞づくりの土台からの改革を軌道に乗せる」(同日)と決意を語っています。
だが、NHK番組改変報道問題、その際「隠し録音」したと思われる取材データの社外流出、サラ金・武富士からの資金提供……こうした一連の不祥事が発生した「根腐れの元」を自ら見つけ出して元を断たねば、とても「出直し」はできません。そうなると、選択肢は「解体」となります。
14日に開いた「全社編集局緊急集会」で、「社長は辞任しろ!」との突き上げがあったと『週刊新潮』(9月29日号)が書いていますが、社長が辞めれば解決することでもないだろうし、背後に、前社長の経済部と現社長の政治部、社長を出せない社会部、この三つ巴の社内派閥争いもあるというのですから、「解体的出直し」も眉にツバをつけて聞かないとならないのかもしれません。
護憲リベラル・メディアが後退する心配
NHK番組改変問題のあいまいな処理が現場記者たちの「やる気」をそぎ、紙面から元気がなくなり、その結果、長年の『朝日』読者たちから「三下り半」を突きつけられやしまいか。「小泉大惨事(第三次)内閣」が発足した今、護憲リベラルの視点をつくるメディアの元気がなくなり、また一歩後退することを心配します。
秋山社長は「販売店のASAの皆さん」の必死の努力のおかげで「部数の減は最小限、今年の初めからで3000〜4000部です」と答えている(前出の記者会見)。その数字に「これも捏造?」との指摘もありますが真相は不明。
ただ、各紙の専売店の方に聞くと「朝日オタクが崩れている」のは確かなようです。ネット上でも「50年購読していた『朝日』の購読をやめた」という書き込みを散見します。全国規模で3000〜4000部減だったら、ものすごい数の新規契約が取れていなければ計算が合わないのです。
『朝日』だけではないコミュニケーション不足
話を検証記事に戻します。
「社内の風通しの悪さ」「コミュニケーション不足」は、『朝日』だけの問題ではありません。情報伝達機器の進化と平行して、コミュニケーション産業である新聞社・出版社、記者・編集者が、この種の「病気」に侵されています。「朝日の文化」なんて論評できない私は、検証記事を読んでこのことが一番印象に残ったのです。
私が20〜30歳代の頃は、原稿は「手書き・手渡し」が主流でした。それが家庭用ファクス機の普及で「手書き・ファクス送り」となり、今は「インターネットメール」が主流です。この便利な情報伝達機器を使う記者・編集者が、「人嫌い」「非マメ化」という、この商売には致命的な「病魔」に侵されているのではないかと常々思っていたからです。
ファクス、メールで記者が「人嫌い」になった
ファクスが普及した頃から、書き手と編集者とのコミュニケーションが電話・面談が一気に減りました。「突然電話がかかってくると迷惑する人もいるから」ともっともらしい理屈を付けて、執筆依頼や疑問点のやり取りを「ファクスで失礼します」「ご返事はファクスでお願いします」と、会話=ダイレクト・コミュニケーションを拒否し始めた。
それが今はメールのやり取りに変わり、相手の顔を見る、直接、疑問点を問いただすといった当たり前の行動が忘れられてしまっています。
その結果、著者、情報提供者、コメンテーター、記者・編集者は、それぞれ「自分の心地よい空間」に閉じこもってしまい、「ノミュニケーション」なんて死語になってしまいました。
昔から、「いいタイトル、いいプランは酒を飲んでいるときに生まれる」と言われたものですが、それは過去の伝説。積極的に著者と会う編集者すら、殆どいなくなってしまった。マスコミュニケーションにかかわる人間が、人と会って事実の検証をせずに頭でひねり出すことを始めたら、その結末は「やらせ」「つくり」「捏造」といったフィクションの世界への転落です。
情報伝達機器が生み出した「病理」
メールによるやり取りは確かに効率的・合理的ですが、双方の勝手な思い込みが生まれやすい。相手の心情を思い測る「声色」「顔色」が見えないために批判が過激になったり、誤解、誤読を生みやすい。その結果、誤報が増えるのです(新聞各紙のおわび・訂正の多さは、「今日のマスコミ」―今日の訂正記事、の多さを見よ!)
『朝日』の検証記事を読むと、「紺屋の白袴」ならぬ「コミュニケーション屋のコミュニケーション不足」の病理実態がよく分かるきがします。これは『朝日』に限らず、新聞社に限らず、深刻な「病理」だと、私は思うのです。
【記者同士でメール以外に具体的なやり取りがなかった】【政治部から総局長への電話でのこうした説明はなかった】【電話を受けた総局デスクはメモの存在そのものを知らなかったが、即座に了承した】【連絡を総局にいたN記者に伝えなかった】(以上「検証記事」から抜粋)
なぜ戦前の新聞は「非戦論」をかなぐり捨てたか
新聞が権力者の意向に迎合するとき――それは、経営上の問題が引き金になることがほとんどです。
アジア太平洋戦争で、初めは非戦論を主張した新聞も主戦論に方向転換しました。なぜか? 軍部の報道管制=締め付けがあったというよりは、「国威昂揚=鬼畜米英」を煽らないと新聞が売れなくなったからなのです。だから「部数をこれ以上減らさないために」と非戦論を投げ捨てました。
インテリが社是や綱領で高邁な理想を掲げ、ヤクザが宅配制度=予約獲得で支えているといわれる日本の新聞は、毎日の紙面、毎週の誌面の中身で勝負する即売紙(駅売り新聞)や週刊誌に比べると、すべてにおいて甘い。不良品を出荷しても当月の売上には響かないからです。
しかし、その安易な姿勢が積み重なると、いずれ大きな反動に見舞われます。そして、そのときには「権力迎合」「体制擦り寄り」で生き残りを図ろうとするのです。
「小泉大惨事政権」の中で、改憲、教育基本法改正など「戦後政治の総決算」がなされようとしています。戦後60年の節目のとき、いい意味でも悪い意味でも「リベラル世論の水先案内人」をしてきた『朝日』が「解体的出直し」をしなければならないという事実は、民主党の「解党的出直し」とは比較にならないほど重大な事件です。
(松尾信之)