▽ 「沈黙のらせん」(spiral of silence)もその過程はやや込み入っている。これは世論形成についての影響である。世論のもとになるのは個人の意見である。しかし、人びとは自分の意見をストレートに表現はしない。まず自分の意見が多数派か少数派かを確認するのである。自分の意見が少数派・劣勢意見であれば、孤立を避けるために意見表明は控えられ、逆に多数派・優勢意見であれば、積極的に表明される。では世論の場合、人びとは何を基準に多数派か少数派かを判断するのか。その基準となるのがマス・メディアなのである。さまざまなマス・メディアが特定の意見を多数派・優勢意見として提示することによって、反対意見は表明されにくくなり(沈黙)、そのため反対意見はますます少数派として認知されることになる。その結果、多数派はますます多数に、少数派はますます少数に見えるようになる。つまり世論の環境をマス・メディアがよってたかって固めてしまうのだ。そのため受け手の議論の範囲が事実上限定されてしまう。「天皇報道」や「湾岸戦争報道」のように「総ジャーナリズム状況」とか「パック・ジャーナリズム」といわれる集中豪雨的取材報道がなされるとき作用しているのがこの「沈黙のらせん」であり、そのとき「はだかの王様」を「はだかだ!」と名指すことが極度に困難な環境になってしまう。 △