★阿修羅♪ > マスコミ批評1 > 459.html
 ★阿修羅♪
マス・メディアの複合影響説(ソキウスより抜粋)
http://www.asyura2.com/0505/hihyo1/msg/459.html
投稿者 デラシネ 日時 2005 年 9 月 20 日 05:43:11: uiUTTMWMO8Vq6
 

http://www.socius.jp/ref/16.html

初等中等教育を終えた成人に対する教育機能を果たしているのは、都市部においては事実上マス・メディアである。マス・メディアは、基礎的な教育課程を終えたわたしたちの知識のありように重要なかかわりをもつ。わたしたちはマス・メディアによって供給される知識をもとに態度を決めることが多い。たとえば商品を選ぶとき、たとえば会社を選ぶとき、政治家を選ぶとき……。だから「歪められたコミュニケーション」というとき、マス・コミュニケーションについてふれないわけにはいかない。
 
ところが、じっさいには、「マス・メディアの絶大な影響力──しかもしばしば操作的に歪められている」というテーゼは必ずしも自明ではない。
 
マス・コミュニケーション論では、一般の人が考えているような素朴な強力効果説は基本的に否定されている。たとえすべてのマス・メディアが「右向け、右」を連呼したとしても、受け手になにがしかの「右を向きたい」という気持ち(これを「先有傾向」という)がなければ受け手は右を向かない。したがって「マス・メディアの影響力は意外に小さく限定的である」という限定効果説が長らくマス・コミュニケーション論の主流だった。限定効果説は、それ以前の強力効果説が受け手の無批判性(要するに「愚かな大衆」のイメージ)を前提としていたことを否定し、受け手の能動性と自律性を再発見していたのだ。
▼43

▼43 J・T・クラッパー『マス・コミュニケーションの効果』NHK放送学研究室訳(日本放送協会一九六六年)。

ところが一九七〇年前後から変化が生じてきた。「やはり大きいぞ」というのである。これは一般に「新・強力効果説」といわれている。▼44ただし限定効果説が否定されて元の強力効果説へ戻ったわけではなく、あくまでも限定効果説の受け手像の上に立って「それでも強力だ」というところにポイントがあることと、「強力」といっても必ずしもメディアの思惑通りに受け手が動かされるわけではないので、わたしは「複合影響説」と総称すべきだと考えている。当然そこには「頑固な受け手」をも屈してしまう複雑かつ巧妙な社会的トリックが存在する。

▼44 日本でこの呼び方が流通したのはエリーザベト・ノエル-ノイマンの日本での講演論文「強力なマス・メディアという概念への回帰」の影響が大きい。E.Noelle-Neumann, Return to the Concept of Powerful Mass Media, Studies of Broadcasting 9, 1973.
 
そのようなトリックとして考えられているのが「議題設定機能」「沈黙のらせん」「培養効果」である。▼45

▼45 マクウェール『マス・コミュニケーションの理論』竹内郁郎・三上俊治・竹下俊郎・水野博介訳(新曜社一九八五年)。児島和人『マス・コミュニケーション受容理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)。入門的なものとして田崎篤郎・児島和人編著『マス・コミュニケーション効果研究の展開』(北樹出版一九九二年)。

「議題設定機能」(agenda-setting function)とは、マス・メディアが「今なにが問題なのか」という争点=議題を設定することについては強力な影響力をもつということである。「どう考えるべきか」ではなくて「なにを考えるべきか」に関しては現在のマス・メディアは相当に強力であるというのだ。たとえばPKOについて各メディアがそれぞれの立場で報道し議論する。ある新聞はイエスと主張し、あるニュース番組はノーと主張する。「どう考えるべきか」はさまざまである。しかし、いずれにせよ「今はPKOについて考えるべきだ」という点では共通しているわけであり、結果的に受け手はその議論の土俵そのものを主体的な選択の余地なく受け入れてしまうというのだ。これを一般化すると、マス・メディアの強調の大小が人びとに問題の重要性を認知させるという強力な影響力があることになる。

「沈黙のらせん」(spiral of silence)もその過程はやや込み入っている。これは世論形成についての影響である。世論のもとになるのは個人の意見である。しかし、人びとは自分の意見をストレートに表現はしない。まず自分の意見が多数派か少数派かを確認するのである。自分の意見が少数派・劣勢意見であれば、孤立を避けるために意見表明は控えられ、逆に多数派・優勢意見であれば、積極的に表明される。では世論の場合、人びとは何を基準に多数派か少数派かを判断するのか。その基準となるのがマス・メディアなのである。さまざまなマス・メディアが特定の意見を多数派・優勢意見として提示することによって、反対意見は表明されにくくなり(沈黙)、そのため反対意見はますます少数派として認知されることになる。その結果、多数派はますます多数に、少数派はますます少数に見えるようになる。つまり世論の環境をマス・メディアがよってたかって固めてしまうのだ。そのため受け手の議論の範囲が事実上限定されてしまう。「天皇報道」や「湾岸戦争報道」のように「総ジャーナリズム状況」とか「パック・ジャーナリズム」といわれる集中豪雨的取材報道がなされるとき作用しているのがこの「沈黙のらせん」であり、そのとき「はだかの王様」を「はだかだ!」と名指すことが極度に困難な環境になってしまう。

これを時間軸に見たのが「培養効果」(cultivation effect)である。たとえば、どのテレビドラマでも登場する老人像が片寄っていることが多い。「がんこで融通の利かない老人」のイメージである。そのため長時間テレビドラマを視聴しつづけた受け手で、直接さまざまな老人と接するチャンスのない人は、このような老人像によって現実を捉える傾向が、テレビドラマをあまり見ない人にくらべて強くなるのである。このようにマス・メディアは長期的かつ累積的かつ非意図的に人びとに行動の基準や価値観を「培養」するのである。

受け手の自律的な反省的コミュニケーションが困難になっている。しかも、それは個々の送り手サイドも意図していない──つまり送り手さえもコントロールできない──形で生じているのだ。マス・コミュニケーションをもふくんだわたしたちのコミュニケーション総体のありようを見直すことが格別に必要なのはこのためである。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > マスコミ批評1掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。