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□信頼される報道のために 検証・虚偽メモ問題 N記者との一問一答 [朝日新聞]
http://www.asahi.com/information/release/20050915e.html
N記者との一問一答
検証班は、退社後のN記者に取材を申し込み、2度、計4時間余にわたって話を聞きました。その際の一問一答は次の通りです。
――亀井静香・元自民党政調会長と田中康夫知事が長野県で会談した模様だという政治部からの電子メールをどう受け止めたか。
「メールの文面を見て、亀井氏と会ったことは裏がとれている話に限りなく近いと勝手に思い込んでいました。田中知事が新党を作ると思っていませんでしたので、知事と亀井氏がどこで会ってもニュース価値はないと思っていました」
――田中知事の車座集会から戻って総局長から取材結果を聞かれた時、なぜ「取材できなかった」と報告しなかったのか。
「『亀井さんに会ったと言ってました』とぱっと出てしまいました。ニュース価値をわかっていなかったことと、会ったと思い込んでいたことで、これくらいなら問題ないのではないかと。(総局長に取材したか聞かれ)校閲作業などで忙しいこともあり、ちょっと取り繕っておけばという気持ちの方が強かったです。そうしたらメモにするよう指示され、最初にかわしたつもりがどんどん違う方向に行ってしまいました」
――メモにあった田中知事の発言は、どのようにして作ったのか。
「ほとんどが会見で言ったことなんです。田中知事の記者会見でのやりとりは頭の中に入っていました。ほとんど抵抗なく、すらすら書いてしまいました。報告するときに形を作らないと意味がないと思い、なぜそういうことをしたのかよくわかりませんが、ちょっと色を付けました」
――取材のやりとりを捏造(ねつぞう)し、一線を越えているという認識はなかったのか。
「あまり重大性を感じなかったです。なんでそうだったのかと考えても、よくわからないんです。もやもやとした気持ちもあまりなかったです。落ち着いた状況でメモにするのは非常に抵抗感があります。ただ、当時は取材先までの往復で疲れていたことや泊まり勤務の作業が佳境だったこともあり、目先の煩わしいものをちょっと処理するという気持ちになってしまったんです。なぜかというのは言いづらいですし、これまでメモであれ、架空のでっち上げをしたことはありません」
――それならば、なぜ今回は架空のやりとりを作れたのか。
「遠く東京で起きていることへの県内の反応のようなメモだと考えたのかもしれません。メモを作っている時もふわふわした気持ちで、自分の問題ではありませんでした。なぜ、そんな無責任なことをしてしまったかは難しいですが、本社の記者と一緒に動いて田中知事をずっと追いかけていたら、絶対にしなかったと思います」
――虚偽メモをもとに記事ができるまで、政治部から具体的な問い合わせがなかったが、どう思うか。
「これまでは原稿をくれと言われて自分で書いてデスクを通して送ることが多かったです。紙面に掲載される前に、本社から必ず確認のファクスなどが送られてきて、不安だったら、もう一度電話取材などをしました。事前に政治部から確認が来るとも思っていました。まさかメールひとつが(本社と)やりとりしないまま丸々使われるとは、知りませんでした」
――虚偽の情報を見破れなかったのは、どうしてだと思うか。
「一番怖いと思ったのはメールです。総局の取材メモのメールをそのまま記事に反映する前に、念を押した方がいいと思います。(本社と総局の記者が)ふだん顔を突きつけて仕事をしている関係ではないので、取材時のニュアンスもわからない」
――「追跡 政界流動」の記事が載った紙面の大刷りが総局に送られてきて、自分のメモが使用されていると知った時、メモは虚偽だと言えなかったのか。
「社会面の記事と地域面の記事を執筆してヘトヘトになったところで、紙面の大刷りを見ました。頭の中が真っ白になりました。この段階でほとんど私のメモで作っていますから、紙面を取り換えるのは大変なことだと思いました。気力がなかったというか、ヘトヘトで、なるようになれと思ったところもありました。また、このまま記事にする以上は当然、亀井氏周辺に取材しているとも思いました」
――結局、虚偽メモのデータが紙面に載るのを防げなかったことをどう思うか。
「大刷りを見たとき、政治部がきちんと取材をして、何らかの確認をしているだろうと勝手に思っていました。本社も自信を持って書いているのだろうと、ひとごとのように思っていたところがあるんです。私は小心者なので自分が書いた原稿はよく校閲し、今まで訂正も出していません。もし、あの原稿を自分で書けと指示されたら、虚偽メモの部分は使いません」
――動機について、社内調査で「功名心」と表現したが。
「メモを作った理由は、自分でも説明できません。(問題発覚後に)動機を聞かれ、『魔が差した』などという受け答えでは納得してもらえないだろうという気持ちはありました。自分の中でわかりやすいようなストーリーを作りました。自分を説得するのにわかりやすい言葉を探す中で、混乱したまま『功名心』という言葉が浮かんだんです」
「思い浮かんだのは功名心のほか、遠くまで行ったのに(知事に)取材しなかった負い目、『取材していない』と言い出せない自尊心などです。うそをつこうという気は全くありませんでしたが、社内調査では、自分を納得させられるようなわかりやすい話をしていました」
(2005/09/15)