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□信頼される報道のために 検証・虚偽メモ問題 (1,2) [朝日新聞]
http://www.asahi.com/information/release/20050915a.html
1.政治部からの「お願い」メール
●会談の情報、取材を依頼
東京・永田町の国会記者会館にある朝日新聞社の記者室。8月18日、与党担当キャップの記者(40)が「お願い」の文書を作り、政治部の内勤デスク(41)に頼んで長野総局に電子メールで送った。
――元自民党政調会長の亀井静香氏が13日か14日に長野県に行って、田中康夫・長野県知事と会談した模様だ。具体的なことはわからないので情報があれば連絡してほしい。
「お願い」のメールは、こんな内容だった。
あて先は、長野総局の金本裕司総局長(48)と総局次長のデスク(42)。
政治部内勤デスクは長野総局に電話をかけ、総局デスクにメールを送信したことだけを伝えた。
「お願い」にあった亀井・田中会談の情報を政治部がつかんだのは13日。この日、亀井氏に近い新党関係者から「今日、亀井氏が田中知事に会いに行っている」と聞いた。郵政民営化法案が参院本会議で否決されたことを受け、小泉首相が衆院を解散してから5日後のことだった。
自民党執行部は衆院で郵政法案に反対した前議員37人を公認しない方針を打ち出し、反対派による新党結成に向けた動きが慌ただしくなっていた。
反対派の中心にいた亀井氏が、田中知事に新党への協力を要請しているのではないか。政治部は情報を裏付けようと取材を重ね、反対派のある議員から「田中氏を代表とする新党ができるだろう」と聞いた。ただ、2人の会談の裏付けができないでいた。
そうした中で17日、亀井氏らが「国民新党」の旗揚げを東京で発表。5人の国会議員らが参加したが、田中知事の名前はなかった。
亀井・田中会談の情報は、いったん過去のものになったかに思われた。だが、新党結成の動きは収まっていなかった。
●意図、総局に伝わらず
郵政法案反対派の小林興起・前衆院議員らは国民新党への参加を見合わせ、第2新党に向けて動いていた。
作家から転身した田中知事は、高い知名度で都市部の有権者からの得票が期待できる。第2新党に田中知事が加わると、大きな話になるのではないか。そう考えた政党担当の曽我豪デスク(43)が、田中知事を取材している長野総局に亀井・田中会談の何か情報があれば、と「お願い」のメールを送るよう与党キャップに指示したのだった。
ただ、「お願い」の内容は漠然としていた。どんな点を、いつまでに取材してほしいのか、詳しく書かれていない。
メールを受けた金本総局長は政治部出身。88年から政治部に12年間在籍し、名古屋編集局で社会部デスクを1年半務め、再び政治部で政党担当のデスクなどを務めた。
だから、政治部では総局長に直接電話をかけて、取材のねらいや政治的な背景を伝えようと思った。そのうえで、総局の記者たちに指示を頼むつもりだった。だが、実際には政治部から総局長への電話でのこうした説明はなかった。曽我デスクは長野総局のだれに、どのような背景説明をするか、与党キャップに細かな指示を怠った。
結局、1通のメールだけが政治部から送られたが、「お願い」の意図は長野総局に伝わらなかった。
【主な経緯】
<8月>
8日 午後 郵政民営化法案が参院本会議で否決。小泉首相はただちに衆院を解散
13日 午後 郵政反対派の新党結成の動きをめぐり、政治部に「今日、亀井静香・元自民党政調会長が田中康夫・長野県知事のところに行っている」という情報が寄せられる
17日 午後 亀井氏らが国民新党の結成を発表。小林興起・前衆院議員らは参加しなかった
18日 午後 政治部が「田中知事と『国民新党』の関係について」と題する「お願い」のメールを長野総局長らに送信
【問題点】
具体的な背景説明をだれが、どの相手にするかが不明確だった。その結果、政治部からの「お願い」の意図や背景説明が長野総局に伝わらなかった。
(2005/09/15)
http://www.asahi.com/information/release/20050915b.html
2.N記者による虚偽メモの作成
●メール、切迫感伝わらず
政治部から届いた「お願い」の電子メールを、長野総局はどうとらえたのか。
長野総局では18日、金本総局長が当番のデスクワークにあたっていた。
デスクワークは、記者たちの取材を指揮して、出稿された原稿すべてに目を通す仕事だ。本来は次長である総局デスクの役目だが、長野総局は次長が1人のため、週に1、2日ほど総局長らが務めていた。
長野県内の読者向けの地域面記事の出稿が一段落した午後9時ごろ、金本総局長は手元に置いていた自分のパソコンで政治部からのメールに気づいた。だが、その文面からは、田中知事にすぐに確認取材しないといけないという切迫感を感じなかった。総局長には政治部から直接連絡はなく、「一言、電話するのが普通なのに」と思った。
総局長がこのメールを長野県政の取材を担当するN記者ら2人に転送したのは午後9時4分。県政担当キャップの記者(33)には、「こういうのが来ているから取材しておいてね」とだけ伝えた。
N記者が「お願い」メールの内容を知ったのは、この日夜のことだった。「こういう話があるんですね」とN記者が話を向けると、総局長は「東京の話だからね」と答えた。国政に関する話題は基本的に政治部が取材する、という受け止め方だった。
長野総局の取材体制は、記者8人。嘱託記者(63)と指導役の中堅記者(40)のほかは、20代、30代の若手で構成されている。そのうち3人にとっては、長野総局が記者として初めての任地だ。
衆院が解散されて総選挙になると、総局は小選挙区を抱えるため総動員態勢になる。日々の紙面作りに加え、政党の県連や立候補予定者らへの情勢取材が必要になるため、仕事量は増える。
長野総局の県政担当記者らは当時、田中知事が新党にかかわる可能性は低いと考えていた。そのうえ、政治部の「お願い」には切迫感が感じられず、締め切りの期日も指定されていなかった。総局長からも取材にあたって明確な指示はなかった。
長野総局では、時間があるときに補足的な取材をすればいいと考えた。そのため、午後から総選挙関連の社内会議があった19日は、知事に直接取材することはなかった。
●取材したように「はい」
翌20日は土曜日。長野県塩尻市の塩尻総合文化センターで車座集会「知事と語ろう信州の明日」が予定され、出勤するN記者が取材することになっていた。
車座集会は田中知事が県内各地で住民と直接対話するのが目的で、00年11月から数えて今回が45回目だった。公の場での知事発言を取材したり、集会後に知事を囲んで「ぶらさがり」取材をしたりするため、同集会には新聞各社の記者たちが足を運んでいた。
長野総局の県政担当記者にとって、今回の車座集会では、知事が総選挙関連の発言をするかどうかを取材することが主な目的だった。政治部の「お願い」の内容については、「ぶらさがり」取材ができれば直接知事に尋ねようという程度だった。午前10時半ごろ、この日も当番デスクだった金本総局長に「選挙の話が出たら書きます」とだけ言い残し、N記者は総局を出た。
JR線の特急に乗り、長野から約1時間で塩尻に着いた。車座集会は午後1時から始まったが、予定の3時を過ぎても終わらなかった。N記者は総選挙の話題が出そうにないと判断し、泊まり勤務に間に合うよう会場を後にした。塩尻発午後3時50分の特急に乗り、長野に向かった。
新聞社の記者は、事件や事故などの発生にいち早く対応するため、当番を決めて泊まり勤務をしている。長野総局の泊まり勤務は記者1人で、午後5時までに総局に戻ることが決められていた。
総局に着いたN記者は、担当区域内の死亡者お知らせ欄の記事内容を点検した後、泊まり勤務席に座った。この席はデスク席のほぼ正面にある。着席した記者は同僚記者の原稿に誤りがないか校閲し、問題があれば正面のデスクに声をかけて原稿の手直しをする。
朝日新聞では96年春から段階的に本社内の校閲部門をスリム化した。総局から出稿された地域面の記事はすべて総局の記者がチェックする体制になっている。長野総局でも校閲作業は泊まり勤務の重要な仕事の一つで、デスクが目を通して出稿した記事を印字し、執筆者がファクスで送ってきた資料などをもとに点検する。
午後6時半ごろ、政治部の与党キャップから、総局長に電話が入った。与党キャップは政治部で一緒に仕事をしたことのある総局長にあいさつした後、18日の「お願い」メールについて、長野総局の取材状況を尋ねた。
総局長は電話をつないだまま、正面に座っていたN記者に声をかけた。
「そういえば、車座で田中知事は、この前の政治部のメモのこと、なんか言ってた?」
校閲作業中に声をかけられたN記者は「はい。亀井さんと会ったって言ってました」と答えた。
実際には田中知事に直接取材していないにもかかわらず、N記者は会って取材したかのような受け答えをした。これが虚偽メモ作成の始まりだった。
総局長はN記者に対し、取材メモを作って、与党キャップにメールで送るよう指示した。この指示に対してN記者は、再び「はい」と答えた。
●発言念頭に10分で完成
総局長から指示を受け、N記者はすぐに自分のパソコンで一問一答形式の「田中康夫知事ぶらさがりメモ」を作り始めた。印字された政治部の「お願い」メールを横に置いて、それを見ながらキーボードをたたいた。
虚偽メモのやりとりは、迫真に満ちていた。N記者の質問と田中知事の応答もかみ合っていた。
N記者は「お願い」メールのうち、「亀井氏が13日か14日に長野県に行き、田中知事と会談した模様です」という記述を、ほぼ裏付けられた内容だと思い込んでいた。
会談場所は東京に近く知事の両親が住む軽井沢だと勝手に決め、具体的には「県内に足を運ばれたとか。やっぱりお住まいの軽井沢あたりで?」と尋ね、知事が「まあね。東京からも近いし」と答えた格好にした。
また、会談日は「13、14の土日ですか」と問い、知事が「13だったかな」と答えたことにした。この日に知事の公務がなかったため、そう見当をつけた。
その他の虚偽のやりとりについては、これまでの定例知事会見での発言を念頭に作った。知事が亀井氏に「郵便局を守れっていうだけではダメだっていったんだ」と言ったという部分や、「民主党だけじゃなく、いろいろな政党に友人がいる」と話したとする部分などだ。
さらに、知事が「亀井さんもいろいろ大変かもしれないけど」「それじゃ負けますよと」などと言ったという全く架空の部分も加えられていた。
わずか10分ほどで、この虚偽メモはできたという。午後6時49分、電話をしてきた与党キャップにメールを送信、総局長と県政キャップにも同時に送った。
メールを受け取った与党キャップはしばらくして、総局長に再び電話をかけ、メモを記事に使っていいか尋ねた。この時、総局長は問題のメモをまだ見ていなかったが、N記者に「さっきのメモ、書いてもいいよな」と声をかけた。校閲作業を続けていたN記者は、顔を上げずに「ええ」と答えた。
政治部は21日付朝刊2面の「郵政反対派『第2新党』が浮上」の記事に、この虚偽メモの内容を使った。
地域面の紙面作りを終えた午後9時ごろ、総局長はパソコンに届いていたN記者のメモを初めて読んだ。
「田中知事、意外としゃべってるじゃないか」。こう指摘した総局長に、N記者は「ええ、まあ」とだけ答えた。
【主な経緯】
18日 夜 長野総局の金本裕司総局長が政治部からのメールに気づき、県政担当記者らに転送
20日 午後 長野県塩尻市内の車座集会で、N記者は田中知事に直接取材をせずに総局に戻る
夕 政治部から総局長に「お願い」の取材結果について問い合わせの電話があり、取材したとうそをついたN記者に総局長はメモ作りを指示
夜 政治部の与党キャップが虚偽メモをメールで受け取り、メモを記事に使うことを総局長を通じてN記者に伝える
【問題点】
政治部の意図が伝わらなかったため、長野総局長はN記者ら県政担当記者に漠然とした指示しかしなかった。さらに、総局長はN記者の取材報告や政治部への回答メモの内容を詳しく聞かなかった。政治部からメモ使用の承諾を求められた際、具体的な使用部分などを確かめなかった。その結果、N記者が作成した虚偽のメモは、総局内を「素通り」して政治部に届いてしまった。
【総局】地域の取材拠点、記者の基礎学ぶ場
朝日新聞社の総局は、県庁所在地にある地域の取材拠点だ。新人記者の多くはまず、総局に配属される。横浜や神戸など大都市圏を除けば、10人程度の記者が配置されている。事件や事故、地方の政治家や自治体の動き、教育、地域経済など身近な話題を取材し、記事にしていくことで新聞記者に必要な基礎的な仕事を学ぶことにもなる。
通常は数年間の総局での仕事を経て、本人の希望や適性などを踏まえて本社で働くことが多い。東京本社編集局には政治、経済、社会、外報、スポーツ、科学医療など18部があり、専門性の高いテーマを取材する。
東京、大阪、名古屋、福岡にある編集局全体で記者は2677人(05年4月1日現在)。本社の記者と総局の記者が現場で一緒に取材したり、本社側が総局の記者に取材を依頼して集めた情報をもとに記事をまとめたりすることもある。今回の問題は、本社から総局への取材依頼という流れの中で起きた。
(2005/09/15)